I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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確かに、旨い!

2013-03-30 21:15:11


プラハといえばカレル橋、

チェコといえばビールであろう。

「チェコのビールは最高だ!」
この台詞を何人から、そして幾度聞かされただろうか。


今日、ついに私の番がやって来た!

カレル橋を越えて見上げるプラハ城も、これまた至って優雅じゃないか。

上機嫌に私はぐいっと一気に飲み干した。
なんだか大声で歌い出したい気分である。(笑)



チェコ時間 13:10 スメタナ博物館に隣接の KLUB LAVKA にて

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迷う、プラハの春。

歴史上のプラハの春ではない。
毎年恒例のプラハの春国際音楽祭のメイン会場となる市民会館、別名『スメタナ・ホール』一階のカフェで寛いでいる。

アールヌーボー調の、まるでミュシャの絵の中にいるような華やかな錯覚。


今日は慌ただしく観光するのではなく、この中世の街並みをのんびり散策でもしようと思う。
スメタナの『モルダウ』を聴きながらカレル橋を渡るもよし。


そして今宵、この会館でヴィヴァルディの『四季』とモーツァルトの作品が演奏されるんだそうだ。

「明日は、ドボルザークの『新世界より』とプッチーニだよ。」
そうか、ドボルザークもチェコ生まれだもんな。

う~ん、どちらも良さそうだ。


そんな幸せ過ぎる悩みのプラハの春は、ワルシャワの冷たさに鍛え上げられた私にとって案外暖かったりする。

2013-03-30 19:30:00



チェコ時間 10:30 カフェ・Kavarna Obecni Dum にて

プラハ、Stepanska St 17番地。

予定では、午後5時過ぎの列車でドレスデンを発つつもりだった。
ドレスデンから30分程に位置するマイセンへ、磁器工房の見学も考えていた。
だが前述のように聖十字架教会を選ぶと決めた私は、もう一つ大幅に行動を変えることにした。

今晩、プラハ国立オペラ劇場で行われる、バレエ『ジゼル』を観に行こう!

ジゼルは午後7時から、プラハ本駅と劇場は目と鼻の先にある。
昨夜のオペラでは、道中の寒さを懸念してセーターを着たが 、、、せっかくだもの、私だってドレスアップして行きたい。
余裕を持ち、ドレスデンを13:08発でプラハを目指すことにした。

*:*:*

プラハでの宿泊先は、Stepanska St. の17番地。

スーツケースをゴロゴロ、石畳はさすがに辛い。
それなのに 、辿り着いた17番地にはホテルはなく、一階にあるブティックのお姉さんに「そんなホテル、ここにはないわよ」と冷たく言われた。
道端の警察官にも聞いた。 でも彼女はこの通りで合っていると言う。



すぐに見つかると思ったホテル、大荷物で30分以上探し回った。
別のホテルも考えた。
考えて、近くのホテルで警備していたおじさんに、半べそかきつつ これまでのことを打ち明けた。

親切なおじさん、iPhoneで検索しながら笑って言った。

「ん?
ははは、 お嬢さん、Stepanska は Stepanskaでも、そこは Mala Stepanska。
頭に Malaって付いてるだろ?
だから、Stepanska 通りから派生した そこの小道にあるはずだから大丈夫。
ほら、もう心配しないで。」


今日も無事にベッドの上で眠れることを あのおじさんに感謝して、これから横になろうと思う。
おじさん、どうもありがとう。


チェコ時間 23:40 プラハは Hotel Crystal Palaceにて

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白い朝。

昨夜は、色気ある女たらしのテノールにたぶらかされたので、

あ、お分かりと思うがオペラの話。(笑)

今朝はひっそりとした雪道を歩き、聖十字架教会の礼拝に参列してきた。


ドレスデンの聖十字架教会は、700年もの伝統を持つ少年合唱団が有名である。

昨日、ドレスデンに到着早々その場を訪れ、偶然 聖歌隊の練習に出くわした。

パイプオルガンと調和した美しい歌声が、質素だが厳かな教会内部に反響し、天使が舞い降りて来るという表現が正にぴったりな空間だった。

練習だから、先生の注意がところどころ曲を遮る。
祭壇に立つ数人は、並び方から何度もやり直させられていた。

それでも、欧州の教会で合唱団の歌声を初めて聴いた私にとって、運の良すぎた偶然だった。


その教会で、今朝は9時半から聖歌隊付きの礼拝があると知った私は、女たらしに乱れた心を鎮める為、観光客は必ず行くであろうツヴィンガー宮殿を取り止めた。(笑)


そして心を清めた(はずの)今、ドレスデンを発つ前にもう一度夢をくれた女たらし、いや(笑)、歌劇場はゼンパーオーバー前まで別れを告げにやって来ている。

2013-03-29 20:10:38



ドイツ時間 12:00 ゼンパーオーバー前の広場にあるカフェ・Schinkelwache にて

写真は、そのゼンパーオーバー。

一日中 ホテルに篭りそうな勢い。(笑)

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今 目覚めてカーテンを開くと、外は真っ白に変わっていた。

ドレスデンの朝である。

明け方になって気温がぐっと下がったのだろうか?
私は昨日、午後11時を回ってホテルまで戻ったので、昨晩は雪もなく、さほど冷え込んでいないことも知っている。
どちらかと言えば もう少し冷たく、身体の火照りを冷ましたかった。

*:*:*

私は午後7時半から、知る人ぞ知るドレスデンは「ゼンパーオーバー」という歌劇場へオペラを観に行った。
その建物も第二次世界大戦の爆撃を受け、一度は瓦礫と化した場所だ。

ドレスデンといえば、10年以上もの歳月をかけたフラウエン(聖母)教会の再建が有名だが、それは東西ドイツが統一されて後の話。
歌劇場はそれ以前、すでに1985年には復興を果たしている。
それは、東ドイツのプライドをかけてのものであったか?

その歌劇場は、ここで指揮者として活躍したワーグナーが、彼の代表作「タンホイザー」を初演したオペラファン憧れの場所。
また、その専属オーケストラ「シュターツカペレ・ドレスデン」の人気も高い。
建物もドイツらしい重厚な趣きと、内部の華やかさがある。

繰り返すが、そこで昨晩、私はヴェルディ作曲・オペラ「リゴレット」を観て来た。

外国の贅を尽くした豪華な歌劇場を見物するのは大好きだが、これまでは若干ミュージカルの方が私には馴染みやすかった。
だが、今は違う。

オペラだ! 絶対にオペラだ!
こんな美しい旋律があるのかと、重なり合う歌声に吸い込まれていった。

終わった時のスタンディングオベーションでの拍手の渦はすでに経験済みだったが、昨日はもっとすごかった。
拍手よりも口笛よりも、「ブラボー!」の叫び声よりも、興奮で床を踏み鳴らす激しい音にびっくりした。
でも、それだけの興奮は私にも分かる。
だって、本当に最高だったもの。
歌も演技も演出も! オーケストラも大道具も会場も!!

帰宅途中、思わず劇中の有名なアリア・公爵の「女心の歌」を口ずさむ若者も多かった。観客も若者が多かった。

こういうものが特別ではなく身近にある欧州の素晴らしさ。
オペラは高尚な趣味じゃない。
たぶん、昨日のオペラを観てもらったら、誰しもがオペラは楽しめるということを理解できるだろう。
オペラはどこか手が届きにくい、そんなイメージを植え付けられている日本人はとても損していると思った。
日本にもこれほどの歌劇場があれば違うと思うが、致し方ないか。

書き出したら今日一日ホテルに篭りそうな勢いなので、今はここまで。
そのゼンパーオーバーの美しき姿の内部写真も、私が帰国するまでのお預け。(笑)



ドイツ時間 7:30 ドレスデンのホテル The Royal Inn にて

嬉しいこと、二つ。

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切り取って くしゃくしゃになったガイドブックを手に、 ベルリンの街をうろうろする。
やっぱり「地球の歩き方」が一番使いやすいかな。
時々 間違いもあるのだが、「歩く」という視点からは、よく出来ていて有難い。

カフェでのんびりした後、私は前日も行ったジャンダルメン広場へ向かった。

ワッフルの美味しさと温かさにホッとして、ちょっと長居しすぎたかな。
連日 石畳の上を歩き回って痛む足を引き摺りながら、だが出来るだけ歩を速めた。

昨日、14時から広場中央にあるコンチェルトハウスでコンサートがあったのだ。
ほぼ毎日 何かしらのコンサートが催されているが、その日は手頃なことに、たった5ユーロで楽しめる企画だった。
最近、日本でも見かけるワンコインコンサートのようなものだろう。
そして、始まる前後には珈琲が振舞われる。
名付けて、エスプレッソ・コンサートというらしい。
それは月に2度ほど、市民も待ちに待ってるようだった。

だが平日だし、さほど混まないだろうとたかを括っていた。
30分前に会場到着。
私はすぐさまチケット売り場へ降りて行った。

だが、「残念、sold out だよ。」
売り場のお兄さんも申し訳なさそうに、両手を持ち上げた。

「立ち席でいいから、珈琲はいらないから。」
私の後ろにいた老婦人も身を乗り出して頼んだ。
この婦人も、きっと私のように前日か当日に会場に貼られたスケジュール表で知ったばかりなのだろう。
同じように、がっかり肩を落とす人達がその後続いた。

ダメなのかな、本当に無理なのかな。。。

諦めの悪い私は、しつこく会場の周りをうろついていた。
キャンセルでないかな。

とことん諦めの悪いヤツは私だけだった。

「チケットいる?」 ドイツ語だが、ある女性が私に声を掛けてきた。
「え? 今日の?」 「そうよ。」 「欲しい!」

そう、諦めの悪いヤツが勝つ。(笑)

おかげで私もコンサートを聴くことが出来た、一流の会場で、しかも5ユーロで。
とはいっても200人弱のミニコンサート、会場は最上階の小ホールだったが、珍しいチューバのソロの演奏に幸せを感じた45分だった。

言うまでもなく、時間がなく一気飲みしたエスプレッソも美味しかった。



ドイツ時間 6:30 Hotel Amelie Berlin West にて

写真は、コンツェルトハウスと同じ広場にあるフランス大聖堂。
ここには、これと対になるドイツ大聖堂も建っている。


追伸 * 3月3日に実技試験を受験した介護福祉士国家試験、無事に合格できました。
たった今、確認出来ました。
皆さま、励ましの言葉を沢山ありがとうございました。

全て帳消し。

ベルリン観光で最も人気ある場所のひとつ、ペルガモン博物館へ行って来た。

ここに復元されている「ゼウスの祭壇」と古代バビロニアの「イシュタール門」を、是非とも一度見たかったのだ。

それを知って8年、やっと念願叶ったことになる。
確かそれは、「世界ふしぎ発見!」で紹介されたんだと思う。
見た後すぐにガイドブックを買いに走った。

巨大な博物館の場所が移動するわけはないし、いまさらベルリンの壁が増えるわけもない。

だから私は、その2005年度版ガイドブックのまま、今もドイツを旅している。

若干、博物館などの料金がアップしているのは仕方ない。
時間の変動も多少はあるだろう。


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そして私は、昨夕それを手にしてドイツ連邦議会議事堂を訪ねてみた。
料金は無料のまま、夜遅く22時までの入場も変更なかった。

ふむ、私は頷きながら議事堂を見上げた。

そのテッペンに、高く掲げられた黒赤黄のドイツ国旗。
重厚で厳かな建物の上ではためく姿は無条件にカッコ良かった。

東西統一後に改築され、新しくデザインされたガラス張りのドームは斬新的。
これも新たなベルリンか。

ふむ、では入ろうぞ。

ガイドブックには、人気スポットなだけに入場には30分ほど待ち時間が必要とある。
だが、さほど列は長くない。
寒さの中、待たずにすむのは有難い。

何気なく列に加わると、周囲の人すべてが白い紙を手にしている。
うんん? それがなければ入れないとか?

そう、、、入れないのであった。
2年前からだそうだ、この議事堂に入るには、少なくとも3日前に予約が必要となっていた。

最新情報を調べなかった自分が悪い。
満足そうに議事堂から降りて来る人々を、ただ恨めしく眺めていた。


そして、今日のペルガモンでも変更はあった。

昨年9月末から、ギリシャとヘレニズム文化の展示場所が閉鎖中だった。
それらは博物館の半分を占める。

まぁ、お目当ての展示物が見れたのだから良しなのだが、正直ちょっとがっかりだ。

そして、がっかりしながら博物館前にあるカフェに入った。
がっかりしながら、そこで食べたワッフルが、これまで口にしたことのない美味しさだった。

お分かりの通り。
ペルガモン博物館の半分も、連邦議会議事堂だって、もうどうでもよくなっていた(笑)。



ドイツ時間 12:40 博物館島前のカフェ・Wilhelm にて

写真は、ドイツ連邦議会議事堂 外観。

ベッドでゴロリ。

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まだベッドでゴロリとしている。
今日は曇り空か、窓から射し込む陽の光も弱い。
外からは、そろそろ動き出した町の音が聞こえている。

廊下を歩く、ギィギィと床が軋む音もする。


ワルシャワのホテルが良過ぎたせいで、ベルリンで滞在している このホテルの居心地がイマイチだ。

鍵はオートロックじゃないし、しかも固すぎて容易には開かない。
バスタブがないのは仕方ないとして、ダブルベッドなのにシングル使用だからか布団も枕も一人分しか置いてくれない。

セルビアはベオグラードで泊まったホステルのように、ビルの1フロアを利用するタイプのホテルで、今にも壊れそうなエレベーターが一基あるのみ。
それこそベオグラードでの事件を思い出し、乗らないようにしている。(笑)

だから、大荷物でベルリンに着いた時は苦労した。
ホテルは2階、疲れを引き摺っての階段は大変だけど、それくらい辛抱しなくちゃ。
で、ふうふうスーツケースを2階まで運び上げてから気が付いた。
ここ、日本じゃなかった、、、、欧州で2階ということは、日本でいう3階だ。。。
エレベーターを使わなかったことを後悔しながら、もう一階を上りきった。
このエレベーター、1階以外の階からは他のフロアに繋がらない。


人間、贅沢にはすぐ慣れるから気を付けなきゃな。

昔なら、こういうホテルだからこそ知れる その国らしさを楽しめたのに。
いいホテルはどこもサービスがほぼ行き届いて、そこに物足りなさを感じたのに。
今じゃ、文句ばかりだもんな。

まだ贅沢すべき年じゃない、、、無職だし。(爆)

ただし、今回は一人のまったり時間が欲しかったから、ホステル利用だけはやめている。



ドイツ時間 7:00 Hotel Amelie Berlin West にて

ベルリンの壁。

一日中、今日はベルリンの壁を巡っていた。

壁の崩壊から23年を経た今、壁はある種の観光名所か、
一応跡は残っているが、その上を普通に人も車も往来し、あの過去すら日常の雑多に流されてしまうか、

そんな両極端な場所へと変わっていた。


朝からずっと集中していたのだろう。

午後に訪れたベルリンの壁博物館で、西へと逃亡を図る人々のドキュメンタリー映画を薄暗い中見ていた時、私はつい居眠りをしてしまった。
手にしていた資料がバサッと床に落ち、目が覚めた。
私も驚いたが、それ以上に隣に座っていた中国人の女の子の方がびっくりしたのだろう。
彼女も「ハッ!」と声をたてた。

そのドキュメンタリーは終盤、東に居たある家族とその知人達が気球を使って壁を越える。
途中、追手もヘリコプターで出動したりと、ドキドキの展開がある。

だが、そのクライマックスで寝てしまった。(苦笑)
気が付けば、脱出を試みた人々は抱き合って成功を喜びあっていた。
助かったのか、良かった 良かった。
ホッとして、だが最も貴重な場面が分からず残念。

ただ、こんな風に成功した例は極々僅かであったろうと、
壁跡の傍に刻まれた、壁を越えようとして殺された人達の名前が刻まれたプレートと、壁の東側に並ぶ墓石の列を思い出し、その場をそっと立ち去った。


さて、そのベルリンの壁博物館であるが、お土産に壁のかけらが入ったキーホルダーやら葉書などが売られている。
そういえば、一時話題になったよなと思い出し、私も一つと手にとって、でもやめた。

だって、ロシアに落ちた隕石の偽物のニュースが記憶に新しいんだもの。
これだって実に怪しい、、、で、やめたのだ。

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写真は、ポツダム広場の壁跡ライン。



ドイツ時間 23:10 Hotel Amelie Berlin West にて

大都会ベルリン。(笑)

昨夜、ベルリンに到着した。

ポーランドから出てきた私には、すでにベルリン中央駅がめっちゃくちゃ都会に思えた。
車窓からの街は高層で、駅も煌びやかだ、、、いや、そう見えた。
ま、香川から直接ベルリン入りしても同じことか。(苦笑)


私が滞在するホテルは、中央駅から近距離列車Sバーンで7つ目の駅。
途中、乗り換えが必要だ。

ガイドブック片手に眉間に皺をよせ、眉毛なんて まさに八の字をして掲示板を見上げていた。
ベルリンは初めてだ。

「Can I help you?」
振り返ると駅員さんだったが、丁寧に路線図をくれ、切符の買い方を教えてくれた。
乗り換えのヴエストクロイツ駅でも、同じようにスマートな紳士が声を掛けてくれ、ホテル前を走るカイザーダム通りへの出方までiPhoneで詳しく説明してくれた。

私、そんなに困ってたのかな?(笑)

それにしても、やっぱりドイツだ!
相性もあるのだろうが、ジェントルマンは多いし、車内を流れるドイツ語の響きは分からないながらも安心できる。
夜、しかも大きなスーツケースを持つ慣れない旅人には有難かった。


* * *


そういうところ、ポーランドは少し不器用なのかな?

英語で尋ねても普通にポーランド語で返ってくるし、駅の表示もほぼポーランド語だけで分かりにくい。
日本の田舎に来て困ってる外国人の気持ちがよく理解できた。

でも、逆にだからこそ面白くもある。
いくら英語が出来ない私でも、英語圏やドイツなどではこのスリルが半減する。(笑)


そうそう、そんなポーランドらしい庶民の味「ピエロギ」だが、もしポズナンの町へ行くことがあれば、その旧市庁舎前にあるレストラン・Gospoda Pod Koziolkami で是非ともご賞味あれ。

餃子の皮のような部分はもっちりと、挽肉の具も程よく味付けされている。
添えられたカリカリのベーコンが その味を飽きさせず、ちょっと感動してしまったピエロギであった。

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ドイツ時間 6:40 Hotel Amelie Berlin West にて

旅の鉄則の第一は、

荷物は軽くコンパクトに。


なのに私は、4冊の文庫本を共にした。

思いの外 読書が進んだ昨秋の旅。
好きな小説を手に、その舞台が目の前に広がる贅沢を知った。

歴史を感じるエレガントなカフェでおもむろに本を開く。
ふふふ、なんだか とてもお洒落じゃないか。


だが、、、今回は忙し過ぎて本が読めない。

恨めしく、それらを見下ろす。
邪魔だよ、君たち。。。

だけど、このためにわざわざAmazonで注文したんだ。
ケチな私は絶対に日本まで連れて帰るぞ。



だから、仕方なくお土産を少なめに。(笑)


ポーランドでの戦利品は、手袋とマウスパッドの2つのみ。
マウスパッドはキュリー夫人博物館で、彼女の爪の垢代わりにと。(笑)

そして手袋は、さすがに耐えきれないワルシャワの冷たさに負けてしまった。
広場のマーケットで見つけたもの。
25zt、750円くらい。
実際は、淡いパープル。
今 着ている若草色のコートとは合わないなと思ったが、それが私の思うポーランド色だった。(笑)

2013-03-25 06:48:56



ドイツ時間 22:40 ベルリンは Hotel Amelie Berlin West にて

旅できる恵まれた時代。

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逆立ちしたってスマートな旅ができない負け惜しみなのだが、
毎度毎度無駄の多い旅を続けているな、と思う。

だが、旅というもの自体が最高の無駄なのかも。

人生の前半(まだ、辛うじてそう思っている(笑))に、そういう無駄ができた贅沢への感謝を常に忘れないでいたいし、

自由に旅できる時代に生きられることの素晴らしさを忘れずにいたい。



写真は、ワルシャワ旧市街と人魚像。
ワルシャワ蜂起に失敗して壊滅させられた街並みを、市民は「ひびの一本にいたるまで」忠実に復元したんだそうだ。

ポォ~!

2013-03-25 19:25:50


ポズナンで降りた理由がこれ。

今も「ポオ~~~!」と汽笛が鳴った。
汽車って、本当にシュッポシュッポと走るんだ。(笑)


ポーランド鉄道では、ポズナンから一部の区間を現在でも蒸気機関車が走っている。

汽笛はもちろん、SLならではの振動も軋む音も石炭の臭さだって味わい深い。(笑)

車窓からはもくもくと煙る蒸気の帯が、そして積もった雪の上を蒸気の影が飛んでゆく。
時折、それらが視界を遮ることも。


長く続いた重い歴史を知るのもポーランドの旅ならば、
何処までも続く真っ白な大平原をSLで突っ切る爽快さもポーランドならではだろう。



ポーランド時間 9:40 ポズナンからウォルシュティンへ向かうSLにて

ポズナンからウォルシュティンまでは、およそ2時間、80km。

ポーランド。

2013-03-25 15:59:17


同じような写真が続くが、これがポーランドの冬景色。

ポーランドという意味が「平原」というのも納得できる。


ところで、先程 私が乗っていた車両の乗客全てが移動させられた。

ポーランド語のみのアナウンスの後、どよめきが起こった。
ため息をつきながら無言で荷物を降ろす人々。
ちょっと声を掛けづらい。
聞いたところで分かりもしないし、とりあえず走り出したから、まっいいか。



ポーランド時間 7:50

あんた、ジェラゾヴァ・ヴォラへ行くんだろ?

2013-03-25 15:11:48


ポーランド人もロシア人のように表情は堅いが、この冷たさでは顔が緩まないのも当然か。(笑)

だが、此処でも親切な人との出会いがあった。
怖そうな表情だから、優しくされると余計に嬉しい。(笑)


ショパンの生家を訪ねた時のこと。

ソハチェフ駅で飛び乗ったバスは、アナウンスがあるわけでも、バスの中からバス停の表示が見えるわけでもなかった。
ガイドブックには所要25分とあるが、それは目安にはなっても確実ではない。

ドライバーさんに着いたら教えてくれるようお願いし、一安心を得て少しうつらうつらした。


「あんた、ジェラゾヴァ・ヴォラへ行くんだろ? ここだよ。」
ドライバーかと思ったら違った。

不慣れそうな日本人、その行き先はショパンの生家しかないのだろう。
乗客の三人が、指差しながら私を急かした。

その時一緒に降りたおじさんは、私が迷わないようにと少し先で立ち止まっては手招きする。

一本道だから大丈夫だよ。
私は笑った。

彼が話すポーランド語を理解できることはなかったが、その温もりは3年前にロシアで出会ったベラルーシ人のバッセーリさんを思い出させた。

そういえば、バッセーリさんのロシア語もちんぷんかんぷんだったよな。
それに、このおじさんもどこか不器用そう。
全然かっこ良くもないし(笑)

なのに、不思議な安心感だ。

そして、握手して別れた時のはにかんだ笑顔までもがどこか似ていた。


写真は、その道すがら。



ポーランド時間 7:00 ワルシャワからポズナンへ向かう列車にて
車窓からの景色も真っ白。

ワルシャワを想う。

一昨日の夜は、何故か神経が高ぶって眠れなかった。

だからかな、昨日は夕方に大統領館邸の傍にあるピエロギ(ポーランド風餃子)専門店でお腹いっぱい食べた後、早々と17時にホテルへ引き上げるやいなや、バタンキューだった。
って、もうそんな言い方しないか?(笑)

今、早朝のワルシャワ中央駅にいる。
これからに西へ、ポーランドで最初に首都となった街を目指す。

ポーランドに少し明るい人は、西じゃないでしょ、南でしょ?と思うだろう。
だが実はポーランド、クラクフの前にも首都が置かれた場所がある。
だから、そこはポーランド初期の君主達が眠る場所でもある。
あ、お墓が目当てではないので、あしからず。

もうワルシャワとお別れだと思うととても淋しい。

やっと土地勘もでき、本当ならこれからがワルシャワとより深く関われるはずなのに、此処を経つ。

一日目は市街地を隈なく歩き、その後に訪れた「ワルシャワ蜂起博物館」で、嫌という程ナチスドイツに爆破され続けた場面を見た。
そして昨日は旧王宮で、第二次世界大戦後に街を復元するにあたり参考にされた絵画の数々を見た。
そして、再び市街地を歩く。

どれほど苦しい道のりであったか、そしてそれでも立ち上がり続けてきたポーランド人、ワルシャワ市民になぜか感謝の気持ちが湧き起こった。
僅かな時間であったが、ここにこれて、此処に出会えて良かったと、素直に思う。



ポーランド時間 5:35 ワルシャワ中央駅にて
たった今、若い兄ちゃんが隣に座って、いきなり「ポーランド語喋れる?」って聞いてきた。
No!と一言返事をすると、「じゃぁ、バイバイ」って去って行った。
近くのおじさんにも「ハロー」と声を掛け、手を振っていた。
朝っぱらから、酔ってもないのに元気で変な若者だ。(笑)

耳に残るはショパンの調べ。

2013-03-24 19:20:43


ワルシャワから西へ50km、私は今 ショパンが生まれた地、ジェラゾヴァ・ヴォラにいる。

確かに彼のピアノ曲は親しみやすいが、だからといって ワルシャワからはるばる列車とバスを乗り継いでまで生家を訪ねるほど好きだったかといえば、これまでは そうじゃなかった。

だが、ポーランドの地で彼の曲を耳にする度、その魔術の虜になっていった。


生家がある公園は、当時 ショパンの母の遠縁にあたるスカルベク伯爵家の広大な敷地だった。

今朝ワルシャワを出た時は重く雲がのし掛っていた空も、ここに着いた頃からショパンの優しい微笑みのような柔らかい陽射しが射し込んできた。

大人しく、自然の中ショパンの調べが流れていく。

不思議だ。
昨日ショックを受けた「革命のエチュード」も、ここでは また違って聴こえる。


そして これからは、彼の音楽を聴く度に、きっと私はこの眩しい真っ白な雪景色と、そこに残された動物達の可愛い足跡、近くを流れる小川のせせらぎを思い出すだろう。



ポーランド時間 11:00 ショパンの生まれ故郷にて

カラス?だよね?

2013-03-24 16:09:07


ワルシャワに着いてから、ひとつ気になることがある。

君、カラス?、、、だよね?

この子だけじゃない、ワルシャワで見かける烏はどの子もツートーンカラー。
ふふふ、なかなかお洒落じゃない?(笑)

これまで気にしたことはなかったが、海外では意外といるようだ。
烏は真っ黒、というのは思い込みだったんだ。



ポーランド時間 8:00 ワルシャワ中央駅にて

出発点。

ノーベル賞といえば、昨今の日本人なら一番に山中教授が浮かぶだろうか?


ここワルシャワは、そんなノーベル賞に最も縁の深い人物と関わりがある。

マリア・スクオドフスカ・キュリー、日本人にも有名なキュリー夫人だ。

彼女は1867年、ワルシャワは新市街の一角で生まれた。

ポロニウムとラジウムの発見に、金属ラジウムの分離などと言われても、お馬鹿な私はピンとこないが、

彼女は それらの業績で2つのノーベル賞を受賞している。

一度目が36歳の時。
夫ピエールとヘンリー・ベグレルという人物と共にノーベル物理学賞を。

それから8年後、今度は一人でノーベル化学賞。


自分と比べることもないが、私の年齢時にはすでにノーベル賞を受賞しており、しかも2つ目となる研究に勤しんでいた。
ま、キュリー夫人を胡瓜夫人と呼び間違えるようじゃ、話にならないね。(苦笑)


ちなみに、彼女の娘夫婦もノーベル化学賞を受賞し、下の娘の旦那もノーベル平和賞。(-_-)

現在博物館になっている彼女の生家には、そんな特異な人達の写真でいっぱいであった。
キュリー夫人のご両親、兄弟姉妹の写真もある。
誰ひとり私のように抜けた顔の者はない。

ふむ、遺伝か、、。
ならば、わが家の負の連鎖は私のせいではないな。(笑)


いや、どちらの出発点もアダムとイヴ?


ん???

2013-03-24 11:54:54



ポーランド時間 3:30 シェラトンホテル345号室のベッドにて

ショパンの「革命」。

生まれて初めてダイヤモンドダストを見た。

冷たい中、頑張った私へのご褒美だと思った。
今日は12時間近く外にいた。
歩いた距離は12~3km。 だが、慣れない石畳と雪と氷に私の足裏は悲鳴をあげていた。


小一時間くらい掛かるな。
かつてショパンのお気に入りだったカフェ、その跡地にあるカフェ・Telimenaで珈琲を飲みながら、次に向かう「ワルシャワ蜂起博物館」への道順を確認していた。

すでに足に疲れを感じていた私だが、バスやタクシーは利用したくなかった。
ワルシャワを知るには、この冷たさの中を歩くことからだと思った。

ウォークマンを出し、この旅の為に用意したショパンのピアノ曲を聴く。
聴きながら、足の痛みを紛らわそうと思った。
ショパンの曲で、ワルシャワを感じたいとも思った。


限界か、足裏の痛みにもう一歩も踏み出せなくなりそうな時、曲は「革命のエチュード」に変わった。

瞬間、電流が身体を駆け巡った。

目頭がギュッとなる。
訳もなく哀しくなったが、逆に力も湧いてきた。

この曲がこんなに熱いものだったとは、頭と心ではなく身体が感じた。

ワルシャワだ! ポーランドだ!

祖国を思うショパンの気持ちが、一瞬私に乗り移ったようだった。
こんな足の痛み、祖国を奪われたショパンの痛みに比べたらなんてことない。

私の足は、それから5kmを乗り越えた。


写真は、聖十字架教会の石柱。
この場所に、ショパンの心臓が納められている。

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ポーランド時間 22:00 シェラトンホテルにて

恋するショパン。

2013-03-23 04:47:12


「Chopin~」

今朝から何度 その名を呼んだかしれない。


今日はショパン縁の場所を巡っている。
彼はワルシャワ郊外で生まれ、ここワルシャワで育った。
街の至る処に彼の足跡があり、息づかいが残る。

それら思い出の地の殆どは地図さえあれば容易に見つけられるのだが、困ったことに 時々迷子になるのが この私。(苦笑)

そのひとつ、「ショパン家のサロン」と名付けられた彼のポーランド最後の家は、現在美術アカデミーの一角となっており、私はやはりそこで迷った。

仕方なく近くの人に尋ねてみたが、年配の方に英語は殆ど伝わらない。

なので簡単に、「Chopin~」と恋人を呼ぶように繰り返していた。(笑)
彼の名前だけで十分なのだ。


写真は、旧市街の通りに置かれた「ショパンのベンチ」。
なんと、彼の音楽も流れる。

だが恋人よ、この冷たさの中で ここに座ると、お尻の先から百年の恋も冷めそうだ。(苦笑)



ポーランド時間 13:30
その愛しの恋人が生前通ったという、ポーランド料理レストラン・Honoratkaにて

ショパンが食べていたというメニューを頼んでみたら、前菜とスープだけでお腹がいっぱい。
山盛りのメインディッシュを前に途方に暮れている。。。

スカーフにパーカーに。

2013-03-23 16:43:59


この冬、私が体験したことのない冷たさの中にいる。

耳なし芳一もびっくり!picchukoになりそうなので、顔にスカーフを巻き、帽子を被り、その上からパーカーを被っている。(笑)

あぁ、耳当てもいるんだった。



さて、ワルシャワのフレデリック・ショパン空港から市内へ入る時、『地球の歩き方』には市バス175番かタクシーに乗ればいいと書いてあった。

だが、オススメは鉄道だ。
道行く人に尋ねても、そう答えていた。

キオスクで切符を買う。 4.4ズオティ、125円くらいだろうか?

空港駅には2つのホーム。
駅員さんに「中央駅へ行きたい」と言えば、難解なポーランド語が読めなくとも親切に教えてくれる。
それも、嬉しくなる笑顔つきで。


中央駅は空港から大体7つ目。
小さな駅ではポーランド語のみのアナウンスだが、西駅や中央駅などメインステーションでは英語でも放送してくれるから大丈夫。
不安なら、近くの美女に「着いたら教えてね」と一言頼んでおけば完璧だ。(笑)



ポーランド時間 8:30
ワルシャワは、バラジャムが入ったイーストドーナツが人気のカフェ・A. Blikleにて

こんな処に泊まっている。

未だに言われる。
昨年9月にスロベニアはリュブリャナで泊まったホステルのことを。。。

そう、「picchukoは誰とでも寝れる」疑惑だ。(笑)

関空にいる私に元同僚のK西さんからメールが届いた。

今度は誰とでも寝ないから?安心しました。
マジあれを聞いた時は…付き合い方考えないとと思ってました。(笑)


彼女に変な心配をかけてはと、「今回はホテル予約してます」と予め知らせた返事がこれだとは。(苦笑)


ま、どちらにせよ、とにかく今日から三夜はこんなホテルに泊まっている。

どう?(笑)

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ここワルシャワのシェラトンホテルは、最高級ホテルなのに信じられないほどお得だった。

立地もいい。
明日は歩いて市内を観光しようと思う。

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道端に盛り上げられた汚れた雪が、一層冷たさを感じさせる。
手袋を買おうかどうか迷ったり、
ポーターさんが被っていて思い出した、モスクワで買った毛皮の帽子がめちゃくちゃ恋しい。
それくらい寒くて寒くて凍えそうだ。>_<…



ポーランド時間 21:45 シェラトンホテル・ロビーにて

Where is Picchuko? (第1日目)

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飛行機から見下ろす景色は、白く凍ったバルト海と黒い森ばかりだった。

氷点下8℃と機内アナウンスは伝えていたが、思うほどは寒くない。
頬を霞む冷たい空気と吐く息の白さは、逆に気持ちいいくらいだ。

この冬は雪を見ることなく終わると思ったが、これからが彼(?)との付き合いになりそうだ。

だが、ここではトランジットのみ。
後1時間で経つ。


これから向かうのは、その街の名を耳にするだけで胸がきゅんとなるところ。(笑)
名前の響きにすら哀愁がある。

白いハイネックのセーターを着て、ガスストーブの前で分厚い本でも読むのが似合いそうだ。
どこからか微かにピアノ奏でるポロネーズは、私の読書の邪魔にならない。

曇ったガラス窓の外には雪化粧した重厚な街並みに、石畳を踏みしめる滲む靴音。

そんなイメージを持つ街だ。



フィンランド時間 15:55 ヘルシンキ空港にて

「picchukoを探せ!」スタート☆

明石大橋を渡る時は、いつも私はハンドルを握っている。
だが今日は運転手付き。(笑)

しかも、運良く大型バスの最前列だ。

お、これで写真が撮れる!


この橋をくぐると、何故か「魅せられて」を歌うジュディ・オングさんの衣裳を思い出すのは私だけか?(笑)


明石大橋は中から見上げる姿が一番素晴らしい、と私は思う。
この喜び、分かってもらえるだろうか?(笑)

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私は今、全ての手続きを終えて、関西空港の北ウィング・12番ゲートで搭乗を待っている。


さて、今後は世界地図を片手に私を探して頂きたい。

極々平均的な観光地を巡るだけだが、picchukoを探しながら自分も旅している気分を味わってもらえると幸いだ。


日本時間 10:30 関西国際空港にて

バスターミナル着。

今朝(?)は2時から掃除の仕上げ。
海外へ出向く時は、部屋の床に髪の毛一本落ちていても、本が一冊傾いていても許せない私だ。(笑)
ま、それは大袈裟だが、常日頃は大雑把でも こういう時だけ超几帳面なA型になる。

さて、そうやって張り切って早起きをし、先程 バスターミナルまでやって来た。
関空行きのバスは4時15分発なのに、30分以上も早くターミナル到着。(苦笑)

真っ暗で誰もいない。
そして、寒い。。。


で、気がついた。


私ったら、手袋忘れてるわ。(涙)

桜が咲いた。

今年の桜は諦めていた。


私はもうじき旅に出る。
たぶん、桜は私と行き違いで終わるだろう。


だが、例年より一週間早い開花宣言に、期待半分諦め半分で高知まで車を走らせた。

昨年も思ったが、四国山地のトンネルを抜けると陽射しの強さが一変する。
高知の冬は、私の住む瀬戸内沿岸より風が強く 寒さ厳しい時もある。
だが、この時期だけは完全に、一足早い本格的な春が高知を包む。

そして気温だけでない、この陽射しのキツさに南国土佐を感じる。
  

天気は晴れ。

もしも桜が咲いていたら、きっと青空の下に薄桃色が映えるだろう。
いや、咲いているのは間違いない。 朝のニュースでも3分咲きだと言ってたもの。


そして、やって来たのが土佐国分寺。

こちらも昨年同様、境内に咲く垂れ桜を愛でに来た。



ふふふ。 咲いていた!

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まこと見事に咲いているではないか! 

まさに見頃。


梅は梅で初春の喜びを感じたが、この桜の淡さと軽さと優しさに、これまで着こんでいたコートを脱ぎ去ったような開放感。

心持ち、肩が軽くなる。

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さあ、今年も私に桜が咲いた!


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* 明日 日本を発ち、僅かな期間 旅に出ます。 家を出るのは午前3時半。(笑)
 渡航先からもブログをアップする予定です。

 しばらく皆さまからのコメントへの返事ができないと思いますので、一旦 コメント欄を閉じさせていただきます。

 これからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 皆さまも、素晴らしい日本の春を満喫してくださいませ。


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詐欺から助けた★名犬クリス★

うちの母が詐欺に遭った。


といっても、私が途中で気付いたので被害に遭うことはなかったが。


以下、母から聞いた話。

3日前の夕方のことだ。 電話が鳴る。
「突然、申し訳ございません。
日立新生ゴールドの木村と申しますが、そちらに、黄色い封筒は届いてませんか?」

母   「届いてませんけど。」
木村  「もし届いたら、その封筒を捨てずに置いていてくださいませんか。 その中身が大切で、色んなお宅にお願いしているんです。 そして届いたら、今から言う番号に電話してくれませんか?
06-6210-6211です。」
母  「分かりました。」


そして、昨日。 封筒が届く。
母は木村という人物に電話せず、そのまま放っておいたと言う。


そして、夜。

木村  「先日 お願いした封筒ですが、もう届きましたか?」
母  「ああ、届いてますけど。」
木村  「ちょっと中を見てもらえますか? その中にある申込用紙が当方に必要なので、明日の午前中に顧問弁護士を連れて貰いに伺っても宜しいでしょうか?」
母  「別にかまいませんけど。」
木村  「それと、もう一つお願いがあって、どうしても、今日中にその申込予約が必要なので、先に電話予約だけして戴きたいのですが。」

母は愚かにも木村という人物の言う通り、その封筒の送り主、金鉱山投資ファンドの会社に電話をし、予約する。
しかも、自分の名前で。
電話番号は、03-5962-9951

電話の相手は、新生ゴールド株式会社の山下という人物。
山下 : 「それでは、このご予約は日にちが経つとキャンセルできなくなるので、ご注意ください。」


そして、今朝だ。 日立の木村から電話があった。

木村  「今日 お伺いに参る予定だったのですが、顧問弁護士が脳梗塞で倒れてしまって、すぐに伺うことができなくなりました。」
母  「では、もうこの話はなかったことにしませんか?」
木村  「いやいや、それでは当方も困ります。 そう仰らずに。」
母  「いいえ、もうやめにしましょう。 私も昨晩から気になって嫌ですし。」


ここで、その木村からの電話で変に動揺している母に、私が気付いた。

電話を切った後、「何の話?」と聞いてみた。
だが、母は言葉を濁して話そうとしない。

しかし、私がキツイ口調で問い詰めると、黄色い封筒を持って来た。
それだけなら、ふ~んと流して終わったかもしれないが、何故かその封筒の宛名の部分と消印が押された切手部分が切り取られていた。
それは、どうやら何かあった時の為に証拠を残そうと切り取ったらしいが。

私  「なんで、ここを切ったの?」
母の返事からは、その場だけ言い逃れればいいという感じが見えた。
私は再び問いただす。

それでも、母は言葉を濁す。

そして、母は席を立ち、別の部屋から電話をかけ始めた。


私はもう一つの電話で、内容を盗聴することにした。

山下  「ですから、先日お話したように、これはキャンセルできないんですよ。 今日中に800万円入金していただかないと、請求書を送らせてもらいますよ。」
母  「では、その話は日立の木村さんとしてください。 私はお金持ってませんし。」
山下  「それなら、木村さんにそう言って戴けますか?」

胡散臭い、私は思った。


母は木村に電話する。

木村  「そう言われても、顧問弁護士さんの印鑑がないとお金下ろせないんですよ。 せめて、18日の月曜日にしてもらえませんかね。」
母  「じゃあ、直接 木村さんから山下さんに電話してもらえませんか?」
木村  「それをしたら、僕が会社を首になります。 電話の取り次ぎだけでもしてくださいよ。」
母  「そう言われても困ります。 じゃあ、木村さん個人からということで電話してくださいよ。」
木村  しぶしぶ、、、「分かりました。 では、とりあえず、僕の携帯から掛けますけど、待てないと言われたらどうしたらいいですか?」
母  「そんなこと言われても、こちらが善意でしたことがこうなるんですから、木村さんがなんとかしてください。」

一旦、木村との電話を切る。


5分後、山下からの電話。

山下  「木村さんに支払うよう電話されたそうですね。 ですが、予約したのは あなたのお名前ですよね。 そして、言いましたよね、キャンセルはできませんと!
それに、予約の電話は全て録音してますよ。」

動揺しきっていた母は、必死で言いわけを始めた。

山下  「色んなこと仰ってますけど、一言も「迷惑をおかけして、すみませんでした」という言葉がないですよね。」
母  「「すみません」と言えばいいのなら、言いますよ。」


ここで、今だ!と思った。 それまで黙って聞いていた私が、二人の話に分け入った。 


私  「謝る必要はない! これは、詐欺だ!!! 間違いない、詐欺だ!」

山下  「詐欺じゃないです。 あなた、誰です?」

私  「名乗る必要はない。 詐欺だ!」

その時、クリスが鳴いた。

山下  「後ろで鳴いてるのは犬ですか?」

私  「関係ない! 詐欺だ!

山下  「犬が鳴いてるんですか?」

母  「鳴いてません。」

山下  「じゃぁ、あの鳴き声は何ですか?」


ここで、電話を切った。


その後、消費者センターと警察に連絡。


まあ、予約したといっても契約をかわしたわけではないし、申込用紙に記入したわけでもない。
こちらの口座番号を知られているわけでもないので、消費者センターも警察からも、以後 その電話を無視するようにと言われた。

「ひと月前にも同じ内容の被害があったのですよ」と、警察の方。

もしも家まで押し掛けてきた場合は、110番通報してください。


後で私が調べると、新生ゴールド株式会社という名の会社は、パンフレットに記載されている住所「東京都港区虎ノ門5-13-1 虎ノ門MTビル 7F」には存在しない

日立新生ゴールドという会社も、改めて非通知で電話すると、「日立メディカルです」と出て来た。
そして鎌をかけてみると、「うちは法人担当だ」とも言っていた。
「個人宅に電話することはないですね」と言う私の問いかけにも、はっきり「ない」と答えた。



正直、「詐欺だ!」と電話口で叫んだ時、少しだけ不安もあった。
だが、その時 鳴いたクリスのおかげで、はっきり詐欺だと断定できた。

真面目な取引なら、「詐欺だ!」と叫ばれても、後ろで犬が鳴こうが無視するだろう。
いきなり「詐欺だ!」と叫ばれて、相手も一瞬動揺を隠せなかったに違いない。

ま、こんな詐欺まがい、ひっかかるのは うちの母くらいなもんだろうが、

こうやって、年寄りは騙されるのだ。

ちなみに、母は満79歳になったところ。


数時間後、山下と名乗る男から再び電話があった。

「キャンセルできましたからね~。 木村さんが支払ってくれましたからね~。」


圧力ある無言の私に、小さな声でそう繰り返した。


耳元で、しかも大声で「詐欺だ!」と叫ばれたのがキツかったのか、、、情けない男だ!恥を知れ!と思った。

ちなみに、新生ゴールドのパンフレットの最後には、こう書かれている。
「弊社は利益分配として世界の復興支援活動に参加しています。」
まさに、へそで茶を沸かすとは、こういうことだ!



とにかく、今日のお手柄は、なんといっても わが愛犬・クリス。
おかげで、強気で「詐欺だ!!!!!」と連呼できたもの。


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騒動の後、ぼそっと母。 「picchukoが一番怖かった。。。」 

もうひとつ、春。

香川県下の梅の名所といえば、一番は滝宮(たきのみや)天満宮であろうか。

天満宮という名からも分かるように、祭神は菅原道真公である。

そこはかつて讃岐国国司の官舎が存在した場所といわれ、道真公も光孝天皇の御代である886年に讃岐守として赴任してきた。
道真公、42歳の春であった。

滝宮天満宮の拝殿の前にある2本の梅は、太宰府天満宮より寄与された「飛び梅」であるとか。
そして、境内には250本の梅の花が香る、まさに梅の名所である。

その滝宮天満宮に、私は今年こそ梅を愛でに参ろうと思っていた。

だが 何となく面倒で、気が付けば見頃を逃してしまった。


そんな時、朝のニュースで「まんのう町の枝垂れ梅」が紹介された。

92歳と言っていただろうか、家主の松本さんが35年間 丹精込めて育ててきた垂れ梅。

松本さんのご厚意で、一般にも開放されている。

私も早速、出掛けてみた。

花の盛りには少し遅かったようだが、それでも「お見事!」としか言いようもない姿を見せてくれた。

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ここにも、春。


近所の公園に咲く河津桜は、すでに葉が伸びて来た。

遅まきながら、お雛さまでも。

遅まきながら、お雛様を見に行って来た。

最近は私の住む田舎町の、アーケードさえ取り払った商店街でも、店先にお雛様を並べているのを見かけるが、

昨日、ちょっくら瀬戸大橋を渡って、岡山は倉敷にある、江戸時代の塩田王のお屋敷までお邪魔した。
以前から、そのお雛様を見たいと言っていた前職場の先輩方とともに。


それは、倉敷といえども有名な美観地区からは車で40分、瀬戸内海に面した児島という場所にある。

以前にもこのブログで紹介したが、国指定重要文化財・野崎武左衛門の旧宅だ。

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その界隈では、まだ町中にお雛様が展示してあり、野崎家別邸においては百畳敷の大広間で「おひな同窓会」なんぞも催されていた。

過去に徳島の勝浦町へ「ビッグひなまつり」なる、3万体もの雛人形を見に行ったこともあるが、

この度は数よりも、由緒あるお雛様の数々とその丁寧な飾り方に、一つ一つの人形に対する敬いの念というものも感じられ、結構感動させられた。

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そして、雛人形にも「格」というものがあるのだということを、つくづく感じた。

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それは、その家の格でもある。

人形の価値そのものが、これほど高価で立派なものに出会ったことも少ないのだが、古さとお金だけでは出しえない「格」の高い人形を見たのは初めてかもしれない。

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「格」といえば、昔 好きだった漫画に、こんなことを書いてあったなって、思い出した。
「父親(男性)は家庭の格を高めるために働き、母親(女性)はその格を守るためにつとめる」
昔の旧家の在り方は、きっとそうであったろう。

見ていて、背筋がピンとなるお雛様ばかりであった。


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こちらは、「享保雛」といって、明治5年に野崎家が池田家より拝領したもの。

その池田家とは、ご存知、備前国岡山藩主を指し、今上天皇の姉君にあたる池田厚子さまの嫁ぎ先の家系である。

以上、全て江戸時代のお雛様。


また、この野崎邸には「明治天皇雛」という軍服姿の珍しいお内裏様もあったようだが、あまりにも見事な雛人形の数々に見落としてしまった。。。

代わりにといってはなんだが、愛子さま(敬宮 愛子内親王)のお顔に似たお雛様を偶然見つけた時は嬉しかったりなんかして。(笑)

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そして、品の良いお雛様は、いつになく素敵な春を運んできそうだ。


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