I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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クリスからお知らせ。

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姉さんがしばらく日本にいなかったので、僕もひさしぶり。
いい舌の色してるだろ。(笑)


今日は僕から特別なお知らせがあります。


僕に弟(分)ができました。

3月7日生まれのポメラニアン、出身は愛知県で、その名もUrs(ウルス)

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今、ぶっ!と笑ったそこの人!!!
名付け親は姉さんだから、その趣味の悪さは僕じゃない!
ま、その由来を改めて僕から説明しなくても、分かる人には分かるよね。(苦笑)
僕やヨン兄ちゃんより男前になることはないだろうけど、名前が不敵だからちょっとだけびびってる。

姉さんが言うには、子供の頃の僕より このウルスの方が今の僕に似てるんだってさ。

じゃぁ、僕に似てるから買ってきたのかと思ったら、
「ううん、性格がとてもやんちゃでね、まるでヨンちゃんみたいだったの。 きっとヨンとクリスを足して二で割ったような子になるわよ」と姉さん。

それじゃあ、ますます末恐ろしいじゃないか!


すっかり油断してたけど、これからは赤ちゃん返りしてやろうと、心に誓った今日の午後。

これから時々、僕のついでにウルスもブログに登場すると思うから、ま、顔くらいは覚えてやってよ。

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あ、今日は僕と顔合わせだけ。
まだまだ赤ちゃんだから、一緒に遊べるのは一ヶ月後になるらしい。

僕みたいに性格のいい子だといいんだけど。。。
僕が犬見知りするだけに、今からドキドキだ。



愛犬Ursの成長日記

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ヘルシンキC型?

帰国便で大風邪をひいた。
風邪といっても、喉の痛みと激しい咳だけではあるが、10日経ってもまだ治らない。
あ、不思議なことに痰は全く出ない。


ワルシャワの極寒、アウシュビッツの吹雪、スイスの雪山、そして凍ったバルト海さえ乗り越えた私を倒したものは、

強烈な香水だった。

たぶん、前席の女性。
麻痺しやすい嗅覚を、延々9時間苦しめ続けた恐ろしい匂い、いや臭いであった。
逃げ場のない飛行機、あきらかにマナー違反だと私は思う。

一睡もできないだけでなく、私から鼻呼吸する自由を奪い、案の定 関空に着いた頃には喉が痛みだしていた。


検疫所では、「中国から帰国された方で熱や咳などの症状がある方は申し出てください」の貼り紙。
でも、中国へは行ってないもん。


昨今、巷を賑わすものといえば もっぱら鳥インフルエンザであるが、
そういえば、私が子供の頃にソ連A型というインフルエンザが流行った記憶。
なので今回、自分の風邪をヘルシンキC型と命名してみた。(苦笑)

いや、正確にはヘルシンキではなくフィンエアなのだが、乗った場所がヘルシンキだからということと、
そしてAでもBでもない、別になんでもいいのだが、素直にA、Bとくれば次はCかという安易なレベルで付けてみただけ。

こんなに長引く変な風邪、皮肉を込めて名前でもつけなきゃやってらんない。


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写真は、ヘルシンキ大聖堂。('13.04.13)
福音ルター派総本山ということはプロテスタント?
あ、すでに飽きるほど教会を見て来た私は中に入っていない、、、というよりも、正面の階段を上るのが なんとなく面倒だった?(笑)

凍った海。

2013-04-13 20:07:13


結局、入ったカフェは一箇所だけ。
ぶらぶら歩いて突き当たったバルト海をずっと眺めていた。

凍った海を見るのが初めてだからかもしれないが、なんだか氷の上で踊りたくなった。

ふと聴きたくなったカーペンターズを耳に、港で小さくステップ踏んでた。
変なアジア人に見えただろうな。(笑)


鼻を擽る潮の香り、低く飛び交うカモメ達。
私のヘルシンキ半日観光はこれで終わった。

でも、可愛い雑貨を手にはしゃぐより、私は凍った海に佇む女になりたかったんだな。(爆)


白く霞んだ景色を見つめながら、この旅を振り返った。
なかなか良かったんじゃないだろうか。
今までにない充実感が心に満ちた。

さて、これから どう生きよう。



フィンランド時間 14:10 空港へ向かうバスにて

ヘルシンキで寛ぎの時間。

ワルシャワの冷たさから、2枚のヒートテックを脱いでさえ暖かい。
それもそのはず。
現在、2℃もあるヘルシンキだもの。

3週間前、ここに降り立った時はマイナス8℃だった。
随分と変わるもんだな。
道端の氷も雨が優しく溶かしていく。


乗り継ぎに半日の時間を得たヘルシンキだが、あいにくの空模様。
なので、洒落たカフェでも巡ろうかと思う。

その一軒目が大きな書店の2階にあるカフェ・アアルト。
中欧とは違う、インテリアのちょっと軽めのシンプルさが新鮮だ。
ケーキの甘さもどこか軽い。

2013-04-13 17:50:58


フィンランド時間 11:45
ここカフェ・アアルトは、映画「かもめ食堂」にも登場しているらしい。

今、『プラハの春』。

プラハに着く前に読み終える予定にしていた春江一也著『プラハの春』を、私は今 読んでいる。

有名な本であるから ここに改める必要もないが、東西対立時のプラハを舞台に描かれた恋愛物だ。
しかも主人公・堀江亮介は1967年当時の日本大使館館員であり、相手は東ドイツ人の反体制活動家。
単なるロマンスではないことを、その題名以上に想像できる。


そして、読み進めていくほどに、今回私が巡った旅が凝縮されていることに驚いた。

劇中のシュナイダー夫人の台詞に、アウシュビッツで出会った中谷氏の言葉が重なる。
ベルリンの壁は、心の奥にどっしり重くのし掛かる。


物語は今後、勢いを持ってプラハの春へと突き進んでいくのだろうか。


面白すぎる。

たぶん、実際に目にした後、考えている最中だから尚更であろう。


今、ベルン駅でチューリッヒ空港行きの列車を待ちながら、夢中になって読んでいる。



スイス時間 12:30 ベルン駅にて

ベルン。

2013-04-12 17:14:47

ベルン最後に、私はまたカフェ・アインシュタインで朝食を取っている。

食欲のない今の私でも、ここの温かいクロワッサンは美味しく感じる。
落ち着いた照明に読書も進む。

*

さて、私が見たベルンは、首都にも関わらず こじんまりとして自然が多く、
だが、首都らしく ビシッときめたエリート達が颯爽と行き交う。

街中に並ぶウィンドウは、日本ともドイツともオーストリアとも違うセンスのいい良質の品々で溢れている。
色使いもお洒落で粋だ。

人も物も、あらゆるものがカッコいい。

でも、ちょっと真面目なんだよな。
もうちょっとリラックスしてもいいんじゃないかと思う固さがある。
ま、それもこの街の魅力だろうが、そこが少しだけ窮屈。

そして、物価の高さをどうにかならぬものかと思うのよ。


そういえば、クラクフからウィーン行きの寝台列車で同室だった、カナダはトロント出身の2人の女の子とこんなシーンがあった。

「ポーランドはトロントと同じで物が安くて助かったわ。」

「でも、ウィーンとザルツブルクは高いけどね。」
私が冷めた口調でそう答えると、ポーラとダイアナはお互い目を合わせ真ん丸にして、
「そう! めちゃくちゃ高いよね!」


私は今、彼女達に教えてあげたい。
ベルンに比べれば、ザルツブルクなんて非常に良心的だわよ。(苦笑)



スイス時間 10:00 ベルン旧市街、カフェ・アインシュタインにて

ずっとここに。

2013-04-11 00:17:34


ルツェルン湖の畔で IL DIVO を聴いている。

白く化粧した峰々と、キラキラ輝く水面が眩しい。
私はあてもなく湖畔を歩く。


ここで聴く彼らの歌声はひときわ心に響いてくる。
特にデビュー間もない1stアルバムがいい。

ルツェルンの面影が色濃く残る、碧いこのルツェルン湖のようなウルスの歌声がいいのだ。


私はこのままずっと、ず~っと、ここにいられそうだ。



スイス時間 17:10

もしや?

イエズス教会のすぐ前で、私はあるおじいさんから声を掛けられた。
「ニイハオ」と。(笑)

湖畔の風景を撮ろうとして、一生懸命カメラを構える私の耳元で彼は言った。
私が思わず「日本人よ」と背後から答えると、彼は両手を広げて「お元気ですか?」と日本語に変えて尋ねてきた。


長く伸ばした白い髭。
その風貌に、どこかしら覚えがある。


もしや?

もしや、6年前に ここルツェルンで私が出会ったおじいさんかも。
2本の尖塔が美しいホーフ教会でオルガニストをしているかもしれない おじいさん。

あの時も「ニイハオ!」って話し掛けてきた おじいさん、彼にとてもよく似ているのだ。


気付くのが遅かったせいで、振り返った時にはすでに姿はなかったが、

きっとそうだ、間違いない。


湖畔の小さな街、ルツェルン。
こんな嬉しくなる偶然もあるんだね。

2013-04-11 20:07:00



スイス時間 13:00 イエズス教会にて

旅の終わりに。

2013-04-11 19:35:21


白鳥は優雅だな。
目の前を30羽はいるだろうか、波も立てずに泳いでいく。

この旅も残り僅かとなり、最後にどこが見たいかなということで、湖畔の街ルツェルンへやって来た。
スイスでは、私が最も寛げる場所はここのようだ。

湖を挟んでイエズス教会があり、背後にはピラトゥスの雪山が聳えている。
そんなカフェで一息ついた。

ここのプラムパイは、ナッツが入っていて とても美味しい。
でも、この街で一番美味しいものは澄んだ空気だってことも知っている。


寒くないので、外に並べられた席に座った。

カペル橋が見えるのも嬉しい。
それは、ルツェルンのシンボルである。



スイス時間 11:50 ルツェルン湖に面したカフェにて

ダメかと思ったが、

高山病は恐ろしい。

それは十分分かっていたつもりだった。
11年前のクスコでは、2日間も寝込んだのであった。

しかし、昨日は3時間で下山したから大したことないだろうと甘く見ていた。

が、とんでもない。

昨晩ずっと頭痛と吐き気に苦しんだ後、今も身体はしっかりしない。

でも気合いを入れて街まで出て来た。


11年前、クスコで私を叱り飛ばしたオーストラリア人のパトリシアの声が聞こえてきたから。(笑)

「picchuko! あんた、こんな遠くまで寝に来たの!(渇)」



スイス時間 13:10 ベルンでの私のお気に入りカフェ・アインシュタインにて
ここでアインシュタインは数々の名論文を書き上げた。

例えも変だが、

2001年秋のこと。
ワーホリで渡ったNZのクライストチャーチから一時帰国した私は、再びNZへ戻る時、日本人の友達に袋入りのポテトチップスを土産とした。(笑)
久しぶりに日本のポテチが食べたいねって話していたからだ。

機内持込みの荷物に入れたそれは、空の上で張り裂けんばかりに膨れ上がった。
気圧を考えれば当然である。

ひやひやし通しの12時間であったが、無事クライストチャーチに着陸。

さっきまでパンパンであったポテチの袋は、あれは何だったのか!という程 しわしわになっていた。
それも当然のことである。



で、ユングフラウヨッホから降りて来た私の脳みそは、あの時のポテチの袋と同じ。

そんな感じ。
変な感じ。(苦笑)

2013-04-09 01:29:32


スイス時間 18:20 インターラーケンからベルンへ向かう列車にて

スイスの人々はすごいことを考える。

ガイドブックの文句に、ん?ってなった。

「日本ではまだ汽車の時代、京都に初めて電気鉄道が登場した1895年に、この小さな国では、アルプスの岩壁に穴をあけてヨーロッパの屋根の上まで列車を走らせる工事が始まった。」


今朝 晴れ間が見えたベルンから、私は登山列車に乗ってユングフラウヨッホまでやって来た。

展望台からの景色は予想通りの真っ白だが、アルプスの懐にいると思うだけでたまらない。

興奮のあまり早足で歩き回ったせいで、案の定 頭がクラクラ、胸も苦しくなってきた。
高山病だ。

水分を取らなければ。
フラフラしながら、レストランに入った。
そういえば、昼も食べていなかった。


で、標高3454mにいると思うだけで気持ちが大きくなる。

ビールを頼む。
機嫌良く一気飲み。

確か、高山病にアルコールはダメだったっけ? 動悸とクラクラが激しくなってきた。


ん、やばい?

2013-04-09 21:16:33


スイス時間 14:10 ユングフラウヨッホのスイス料理レストランにて

なぜだろう。

強く行きたいなって思う場所より、

なんとなく行ってみたいくらいの場所に縁が深い。


ハプスブルクの地もそのひとつだった。
テレビで見た時、へぇ、スイスだったのかという意外性と、どんな処だろうという漠然とした興味だけを覚えている。


自分勝手な我がないだけに、すんなり事が運ぶのかも。

2013-04-08 05:17:42



スイス時間 22:00 Artistshouse Bed with Kitchenにて

写真は、そのハプスブルク城。

ルツェルン出直し。

2013-04-08 00:45:51


車窓から見るこんな牧歌的な風景って、オーストリアとスイスってよく似ているなって思ってた。

でも違ったんだな。

初めて知った。
うまく言えないが、スイスの方が頑固さがあるというか、、、
あ、いい悪いではない、違いの話だ。

ま、オーストリアといっても私はザルツブルク近郊しか知らないけれどね。



スイス時間 17:40 ルツェルンからベルンへ向かう列車にて

雨が強まってきたので、ルツェルンは後日出直し~、
って書いてたら、雨が雪に変わった。 うぅ、まじで?(T_T)

Where is Picchuko?(第18日目)

2013-04-08 22:10:37


その気になればと思っていたら、案外早くなってしまった。(笑)

ハプスブルクを後にした私は、ベルン方面の列車に乗ったものの、ちょっと道草しようと思い立った。
といっても、スイスの地理に詳しいわけではない。

そこで、以前から気になっていた Willisau(ヴィリザウとでも読むのだろうか?)を目指して列車を変えた。

意外と洗練された街 Willisauは、IL DIVOのスイステナー・ウルスの生まれ故郷である。
世界一の美青年になるその日まで、彼はここで時を刻んだ。

たぶん、彼が通ったであろう高台の学校を眺め、運動場でサッカーをする男の子達に少年ウルスを重ね、
空からは ぽつりぽつりと小雨が落ちてきていたが、私はコートのポケットに手を入れて、しばし妄想に浸っていた。(笑)


あ、こう書くと、まるでウルス一途のような私だが、昨年の広島公演からは甘く優しいセバスチャンに心変わりしている。(爆)

ただ、それでも世界一美しい人はウルスだと思うし、彼を見るだけできゅんとなる。(*^^*)

そんな彼を生み育てた空気に包まれて、私は大きく深呼吸する。



スイス時間 15:00
ウルスも立ち寄ったことがあるかもしれない、Willisauのとあるカフェにて

この後少し、彼の青春の舞台であるルツェルンで遊んで帰ろうと思う。

今、スイスにいる。

2013-04-08 16:09:34


鉄道の旅が好きな人って、駅やホームの写真撮るの好きだよね。
私もその一人。

この写真は、毎回飽きずに写しているザルツブルク中央駅だ。
現在も2011年(10年だったかな?)から続く大工事中で、訪れる度に新しく生まれ変わっている。

*

さて、私は今スイスにいる。

ザルツブルク中央駅から特急に乗り、5時間半でチューリッヒだ。
途中、インスブルックに立ち寄るつもりであったが、気分が乗らず そのままスイス入りした。

今回、せっかくなので、このスイスで行ってみたい場所があった。

それがハプスブルクという町(村?)。
名前の通り、ハプスブルク家発祥の地だ。

ハプスブルク好きを名乗るなら、ここは絶対抑えなければならないだろう、という変なこだわり。(笑)

どうやら小さな古城が残っているらしいので、今日はそこでランチしたいと思っている。

そこで先程 列車に乗ったわけが、どこで降りたらいいのか確かなことを実は知らない。(爆)
たぶん「Brugg」という駅なのだろうが、この列車がそこで止まるかも私には不明だ。

しかも、こんな時に限って改札に来ない。

頼むよ、もう!



スイス時間 9:00 ベルンからブルックへ向かう列車にて

今日は曇りのザルツブルク。

昨晩ポーランドはクラクフから夜行に乗り、朝6時半にウィーンに着いた。
そして その足でザルツブルクへ。

私は今、ザルツブルクを知る誰もがお気に入りの場所、メンヒスベルクの丘にいる。
この丘にある、古城を利用したレストランのシュニッツェルが大好物なのだ。(笑)

窓からはホーエンザルツブルク城塞。
私にとって、至福の時間だ。


地球上にこの街が存在することを感謝しつつ、ギュッとレモンを絞った熱々のシュニッツェルをこれから食べようと思う。



オーストリア時間 12:15 ザルツブルクはメンヒスベルクの丘にて

2013-04-05 19:27:08

ショパンに泣いた。

2013-04-04 06:12:00


ショパンに泣いた。

たった今、クラクフの中央広場に面したレストラン2階において、ショパンのピアノコンサートを聴いてきた。

丁寧に、そして余韻を大切にする弾き方を前に、のめり込むのに時間はそう掛からなかった。

曲は「雨だれ」から「革命」に移る。

私はいつから この曲にこんなに弱くなったのだろう。

色んな思いと、昨日アウシュビッツで見た数々が入り交じり、こみ上げてきて、


泣いた。



ポーランド時間 21:00 クラクフ本駅にて

私を呼んだ?

2013-04-04 06:11:30


いきなり間違えた。

クラクフはヴァヴェル城へ行った時のこと。
すでに夕暮れで、閉館まで1時間を切っていた。

城塞も教会も金銀財宝も、もうどれがどれなのか分からないほど見て来たので、どうしても入りたいということはない。

だが、城壁内にある金のドームについ惹かれ、大聖堂に足を踏み入れた。


で、いきなり入口を間違えた。

何を思ったか、地下への階段を降りてしまった。

そこで突然現れたのが、一つの墓石。
まぁ、相手からしたら私の方が突然現れたという方が正しいだろうが、その石に彫られた文字に息を呑む。

それは、カチンスキ大統領夫妻の墓だった。

2010年、カティンの森犠牲者追悼式典に出席するためロシアに向かい、飛行機の墜落で亡くなった あの大統領夫妻である。

私は今年1月に小説「カティンの森」を読んだばかりである。
映画も観たばかり。
そして、あの事故を思い出したばかりでもある。


ここに立つ奇妙な縁に、ちょっと背筋が冷たくなった。。。



ポーランド時間 18:10 クラクフはカジミエシュ地区(ユダヤ人街)にあるカフェにて

アウシュビッツ。

「今日は雪で足もとばかりが気になって、周りを見回すより下ばかり見て歩いてるから、逆に当時のユダヤ人達が見ていた景色に近いかも。」

「そうだね。でも彼らは歩いてたりしたら撲られてたからね、<あの>木靴を履いて いつも走らされていたんだよ。」

何気なく口にした私に、ガイドの中谷さんはそう答えた。



アウシュビッツ博物館と、第2アウシュビッツ収容所であったビルケナウを、昨日3時間以上掛けて見学した。

正直、その場所に立つことに怖さもあったが、実際に訪れてみると全く違った。

それは、唯一の外国人ガイドを始めて15年になる中谷剛さんの丁寧な説明のおかげであるが、
アウシュビッツで行われた人類最悪の歴史より、われわれが今後向き合っていかなければならないこと、考えていかなければならないことが いっぱい詰まっていた。
落ち込んでいる暇はない。

辛い、重い、可哀想、残酷などというレベルを、アウシュビッツはとうの昔に越えていたのだ。

時間は止まっていなかった。


アウシュビッツの解釈は、戦後60年の2005年に大きな変化があったんだそうだ。
後2年で70年、また何かが変わるかもと、中谷さんは言っていた。


中谷さんのガイドは、私達に考えるきっかけを与えてくれる。
私達が日頃見て見ぬふりをしている部分にも鋭く問いかけてくる。

アウシュビッツの歴史は日本にも責任はあったし、現在生きている私達の誰も無関係ではない。

決して特別ではないと知った。


テーマを与え、見学者それぞれのレベルに合わせて真剣に向き合ってくれる中谷さんに感動すら覚えながら、アウシュビッツとビルケナウの広大な敷地を歩いた。

あまりにも沢山のことを投げ掛けてくれたので、私の小さな脳みそでは全然纏まりがつかないのだが、

それは今後の人生の中で常に私と共にあるだろうし、私も止まっていてはいけない。

中谷さんという人物と接し、直接疑問をぶつけられたことも、ここでの大きな収穫だったと思う。


アウシュビッツは最近、見学者がぐんと増えているんだそうだ。
なので、今月から入場制限が行われ出したという。

出来るなら、ここは絶対に訪れた方がいい。
机上と現実のギャップの衝撃を、ここほど感じられる場所はないだろう。

そして、中谷さんのガイドを是非ともオススメする。


写真は、その中谷さんお勧めのトマトスープ。
中にライスが入っている。
一口目は塩辛いが、なかなかいける。
それは、アウシュビッツ博物館内にある食堂で食べられる。
この時間を共有した、5人の見学者の全てが完食。(笑)

2013-04-04 19:00:13



ポーランド時間 9:10 クラクフからヴィエリチカへ向かうバスにて

吹雪くクラフク。

2013-04-03 14:20:49


8時間掛けてプラハよりクラクフに到着。

ポーランド、再びだ。
極寒も再び。(苦笑)
白い息を怪獣のように吐いている。


只今、午前7時を回ったところだ。
ガイドの中谷さんとは、アウシュビッツ博物館入場棟前で9時半に待ち合わせとなっている。

弱虫の私だが、ポーランドまで来てアウシュビッツを無視はできないだろう。

ワルシャワから素直に南下すればいいものを、遠回りして やっと本日辿り着く。


プラハで毎夜 歌劇場に通ったのも、チェスキー・クルムロフで気持ちをほぐしたのも全て、前もって どん底に落ち込む心をオブラートで包んでおきたかったのかも。

だが、ここを訪れるなら絶対に冬だ、という思いはその通りになった。



ポーランド時間 7:15 クラクフからオシフィエンチム(アウシュビッツ)へ向かう列車にて

よくある事だが。

チェスケー・ブディェヨヴィツェからプラハへ戻る列車が遅れた。
連結する列車を待ってのことだったが、出発に20分程度の遅れが出た。

やっと動き出したと思ったら、何度も繰り返すブレーキ音。
嫌な予感がした。
だが、何かあってもなるようにしかならない。
私は腕組みをし、窓の外を眺めていた。

案の定、途中の駅で下車させられる。
いつものこと、バスが代理運行だ。
数駅分飛ばした後、見知らぬ駅で再び乗車。

その後は順調にいってくれ、大幅に遅れることなくプラハ本駅に到着した。


ただプラハに戻るだけなら気にはしない。
だが、今夜 寝台列車に乗るのだ。
乗継に余裕を持ってはいたが、少々焦りを隠せなかった。

よくある事だが、なんでだろ?
次がある時に限って いつもトラブる。
それも旅の面白さではあるが、終わり良ければ全て良しということか。

ま、とりあえず ひと安心。



チェコ時間 22:00 プラハ本駅にて

なぜかとても、ああ懐かしい。

私達を乗せた船は東へと漕いでいく

朝焼けを夕映えを果てしなく追いかけて

月をよぎる雲の色も波のしぶきさえも

二度と同じ姿はない永遠の万華鏡


私達を乗せた星は涼しげに輝いて

木星を金星を導いてゆくように

同じ時を旅している沢山の人の中に

なぜかとても ああ懐かしいあなたがいてよかった



恐れずに 生きてゆける
彗星のように燃え尽きたい



遠い海を旅してゆく小さな船の上に

もっと遠い夢を見てる あなたがいてよかった

なぜかとても ああ懐かしいあなたがいてよかった


松任谷由実 『青い船で』


2013-04-02 18:33:22

この場所に立ち、今 なぜか この詩が頭の中を流れていく. . .


チェスキー・クルムロフ

たまには、のんびりと夜。

世界遺産にもなっているチェスキー・クルムロフに来た理由は、リラックス。(笑)
だから今日、重いスーツケースはプラハ本駅のコインロッカーでお留守番。


この街は、まるで玩具箱をひっくり返したみたいだ。
そして、15分毎に鐘が鳴る。

少し街歩きをして、目の前のレストランに入った。
今日は少し寒いけど、暖かい部屋でチェコビールを飲みながらシュニッツェルでも食べようと思う。

後は何もせず、可愛いこんな部屋で読書をして、早めに休むのも旅の醍醐味。

2013-04-01 00:23:30



チェコ時間 17:20 スヴォルノスティ広場前、レストラン・u hroznu にて

チェコの子守唄。

2013-04-01 21:16:31


「横になって、足を伸ばしておやすみ。」
うつらうつらする私に、フランターさんは優しく言った。

私が居たコンパートメントに、途中から乗り合わせてきたおじいさんだ。

「チェスケー・ブディェヨヴィツェに着いたら起こしてあげるよ。」
分からないチェコ語だが、揺さぶり起こすジェスチャーで、彼の言わんとすることは分かった。

「ジェクユ ヴァーム。」
ガイドブック巻末にあるチェコ語会話を使って、私は即席でお礼を言った。

「いやいや、こういう時は、プロスィームだよ。」
「プロスィーム?」
調べてみたら、「お願いします」の意味。

なるほど、
でも横にならなくても大丈夫だよ、私。

それでもコクリコクリする私に、フランターさんは小声で何かを歌い始めた。

「子守唄さ。」

フランターさんには私が孫ほどの歳に見えたのだろうか。
にっこりと微笑みながら、温かくそっと頭を撫でてくれた。



チェコ時間 14:15 ブディェヨヴィツェからクルムロフへ向かう列車にて

雪の中のサマータイムで。

歴史は常に上塗りされる。
そして歴史は人間が作るものだから、作り変えられることもある。

見ている瞬間、目の前だけが事実であって、すでにワルシャワやベルリンの今を私は知らない。
プラハだってそうだ。
当然のこと、真実を知るなんておこがましいこと以ての外。

ちょっと色々考える。


写真は、プラハの旧市庁舎塔で時を刻む天文時計。

2013-04-01 19:41:34

覚えられん。

2013-04-01 19:13:13


せっかくの巳年なので、プラハで見つけた金のヘビを。

王の道と呼ばれるカレル通りの一角に、それはある。
プラハで最初にできたカフェの紋章なんだとか。

あ、これを見たらお金持ちになれるという話ではなさそうなので、悪しからず。(笑)


* * *


また空が重くなってきた。
吹雪いてきたかと思えば、それは窓ガラスの汚れであった。(笑)

今日は、プラハからチェスキー・クルムロフへ向かっている。
その為にまず、チェスケー・ブディェヨヴィツェ行きの列車に乗った。

なんて覚えにくい地名だ。
行き先を聞かれても、咄嗟に答えられないではないか。


さて、手元にはヨーロピアン・イーストパス。
ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、オーストリアの列車を乗り放題できる切符だ。
ま、色々制限があるから便利過ぎることはない。

バスの方が若干安くあがるだろうが、私はやっぱり鉄道が好き。
駅のホームは旅情を駆り立ててくれるし、停車する時のキキキキィーという音で時間も戻る。

そして、何より線路がいいかな。
不安がりの私は、何処までも繋がっている安心感を得られるのだろう。

まずは終点まで。
降り間違えの心配もなし。(笑)



チェコ時間 12:00 プラハからチェスケー・ブディェヨヴィツェへ向かう列車にて

あ~、何度読んでも覚えられん。( ̄~ ̄)ξ

プラハに来たら、

サマータイムが始まった途端 冷え込んできたプラハだが、昨夕からの雪は止み、今日は天気が良さそうだ。

ちょうどイースター休暇と重なって、プラハの街は恐ろしいほど人の波で溢れかえっている。
いや、渦が巻いている。(笑)

真っ直ぐに歩けないストレス、急いでも速く行けない苛立ち。
それでも、多くの人を魅了してやまないプラハの良さを感じないわけではなかった。


プラハは手頃に音楽が楽しめる街だ。
しかも、スメタナが指揮していた劇場だとか、ドボルザークがヴィオラを弾いていた場所だとか、モーツァルトがオルガンを演奏した教会などで連夜連日催される。
オーストリアやドイツほど格式張ってもいない。
ビールの楽しみ方がチェコ人とドイツ人とでは違うように、すごく楽に自然な感じだ。

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私は三夜連続で赴いた。
一日目が、国立歌劇場でバレエ「ジゼル」、二日目はスメタナホールで管弦楽の演奏を、
そして昨晩、スタヴォフスケー劇場 (こちらではエステート劇場という呼び方の方を耳にする) でモーツァルトの「レクイエム」を聴いてきた。
エステート劇場とは、モーツァルトがオペラ「ドン・ジョバンニ」を初演した処といえばご存知の方もいるだろうか。
そして、彼を描いた映画「アマデウス」のオペラシーンが撮影された場所としても有名だ。

贅沢な場所だが、そんな気負いはない。
欧州はどこもそういう感じではあるが、プラハも音楽と人と街が溶け合っている。
街が音を奏でるんだな。

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こう書けば、遊んでばかりいるようだが、時には勉強(?)だってしている。
エステート劇場から一本通りを入るとある「共産主義博物館」では、チェコの社会主義時代に関する展示と、「プラハの春」から「ベルリンの壁崩壊」に続く「ビロード革命」までの当時の映像を見ることが出来た。

ベルリンの壁を見た後に、しかもつい今しがた歩いた場所での映像に言葉失う。
だが、プラハを知りたい人にはぜひ足を運んでもらいたい場所である。



チェコ時間 10:00 Hotel Crystal Palaceにて

写真は、プラハ国立歌劇場内部。

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