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I love Salzburg

ARCHIVE PAGE: 2014年07月

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今年はケアマネ☆

介護現場に復帰して1年弱。予想以上の理想と現実の違いに、今一度立ち止まっている。私がやりたいことは何か。 もう一度、考える。10月に介護支援専門員(ケアマネジャー)を受験するつもりではあるが、それは私が最も望んでいるものではなく、あくまで目標への足掛かりに過ぎない。遅々として勉強は進んでいないが、これを通過しなくては次へのステップに遅れがでる。昨年から働いている現職場で、改めて日本の介護現場の持つ大...

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私はヨーロッパ人だ。ーサラエボ100年(朝日新聞)

サラエボに100年間住む家族の歴史をたどるため、ボスニア・ヘルツェゴビナの主要3民族のうち、ボシュニャク(モスレム)人とセルビア人に話を聞いた。残りのクロアチア人の取材対象探しが難航した。サラエボのクロアチア人は100年さかのぼると、別の場所に住んでいた一家が多いためだ。1878年にオーストリア・ハンガリー帝国がボスニアを保護領にするまではサラエボに住んでいたクロアチア人は少なく、多くはその後の時代になって...

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拘束おそれ避難、一家で改名。ーサラエボ100年(朝日新聞)

1914年のサラエボ事件に端を発した第一次世界大戦から第二次大戦まで、ボスニア・ヘルツェゴビナで最も多いボシュニャク(モスレム)人一家の歴史の一端をたどってきた。ほかの民族はどんな境遇だったのだろうか。セルビア人で、元サラエボ大生物学科教授のリュボミル・ベルベロビッチさん(81)に私が会ったのは、市内のアパートの16階だった。サラエボは、東西に細長く広がる盆地の町だ。時代を追って西側へ広がっていった。一番...

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民族自決から報復の連鎖へ。ーサラエボ100年(朝日新聞)

1914年6月、皇太子をサラエボで暗殺されたオーストリアは、セルビア王国が糸を引いたと判断した。1ヶ月後、セルビアに宣戦布告。それぞれについたドイツやロシア・英・仏といった大国同士の戦いは、予想を裏切る泥沼となった。4年後、オーストリアは敗戦国、セルビアは戦勝国となっていた。第一次大戦後、国境線を引き直す際に唱えられた「民族自決」の原則は、この地域では、まさに暗殺犯ガブリロ・プリンツィプが理想とした「南...

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三つの民族、二つの準国家。ーサラエボ100年(朝日新聞)

第一次世界大戦の引き金、サラエボ事件の暗殺犯ガブリロ・プリンツィプは、英雄か、テロリストか。ボスニア・ヘルツェゴビナの主要3民族のうち、プリンツィプと同じセルビア人は前者、残りのボシュニャク人、クロアチア人は後者とみる傾向が強い。事件から100年となる節目の6月28日、その差が現在のボスニア国内の政治状況とからんだ形で、ボイコット騒ぎにまで発展してしまった。ちなみに、ボスニアの政情をさらにややこしくして...