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和解への障害は政治家たち。ーサラエボ100年(朝日新聞)

旧ユーゴスラビア国際刑事法廷(ICTY)は「セルビア人に責任を転嫁する」場にすぎず、不当な裁きだ――。

ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦当時のセルビア人勢力の政治指導者、ラドバン・カラジッチ被告(69)は、自らを裁く法廷をそう非難する。

セルビア本国で権勢をふるい、ボスニア内戦でもセルビア人勢力に影響力を及ぼしたミロシェビッチ・元ユーゴ大統領も公判で、ICTYは「不法な偽物の法廷だ」、自分の裁判の目的は「NATO(北大西洋条約機構)による空爆の正当化だ」と、2006年に病死するまで批判した。

彼らに同調するセルビア人は今も決して少なくない。
私自身、長年ボスニアやセルビアで取材してきて、同じような主張を何度も聞いた。

ミロシェビッチ元大統領が批判した、1999年のNATOによるセルビア(当時はまだユーゴスラビアを名乗っていた)への空爆は、確かにこの偏見を助長した。

セルビアの支配下にあったコソボでのアルバニア系住民に対する弾圧を止める「人道介入」という名目だったが、爆撃対象はセルビア全土に及び、誤爆で市民の犠牲も出た。
そのさなかに、ミロシェビッチ大統領(当時)をICTYが起訴したのだった。
法廷をセルビア人たたきの道具と見る風潮は強まった。

しかし、カラジッチ被告らの言い分には論理のすり替えがある。
「我々も被害を受けた」というのが、いつのまにか「だから我々は何も悪いことはしていない、」という責任の全否定へと飛躍するのだ。

内戦末期の95年7月、ボシュニャク人7千人以上が殺害され、第二次世界大戦後の欧州で最悪の非人道行為とされる「スレブレニツァの虐殺」について、例えば、今の「セルビア人共和国」トップ、ドディック大統領は「ジェノサイド(集団殺害)などなかった」「セルビア民族に責めを負わせるのは受け入れられない、」と繰り返している。

「政治家たちのそうした言動が、和解に向けた障害だ、」ICTYサラエボ現地事務所連絡調整官のアルミル・アリッチさん(44)はそう語る。
法廷の意図について「現地」旧ユーゴ諸国で根強い偏見を解消しようと、99年に作られた「アウトリーチ」(広報普及活動)部門に属する。

「この法廷は、非人道行為に手を染めたり、指導監督する立場にあったりした個人の責任を問うためのものだ。特定の民族だけを悪者扱いしたり、集団責任を負わせたりするためのものではない。それなのに、自民族が勝ったか負けたかの観点からしか受け止めない。まるで、武器こそ置いたものの、頭の中はまだ90年代のまま、戦争を続けているかのようだ。」

アリッチさん自身は、ボスニア北東部ズボルニク出身のボシュニャク人で、内戦当時は大学生だった世代だ。
敵対意識を今も引きずる政治家たちに失望の念を隠しきれない。「ジェノサイドを否定するなんて、家族を失った遺族たちが聞いたらどう思うか。政治家たちは、和解を望んでいないとしか思えない。」




(梅原季哉)

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