I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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花より団子。

「先日テレビでね、松山の椿が見事に咲いているのが映ってたの。」
もう半月以上も前、元職場の上司から電話があった。

椿は松山市の花であり、町の至る所に椿や椿にちなんだものがあるんだそうだ。
椿好きの上司は、「松山市の観光課に電話したら、松山総合公園という所に椿園があって、それが4月まで見頃だと教えてくれてねー」と、声を弾ませていた。

当初、3月19日に松山行きを計画していたのだが、あいにくの雨降りで、後日に伸ばそうということになった。


松山総合公園・椿6.jpg


「31日はどうですか?」 先週上司にメールをすると、二つ返事で「OK!」とのこと。
椿もいいけど桜もそろそろかなーと、淡い期待も半分あった。


松山総合公園・椿8.jpg

松山総合公園・椿3.jpg


椿の予想を超える量と品種の数に驚きもし、期待以上にソメイヨシノが見ごろを迎えていたことにも驚いてしまった。

今朝の桜開花情報には「咲きはじめ」と記されていたのに、あっという間に満開になったようだ。


松山総合公園の桜.jpg



陽射しも一気に強くなり、椿はもちろん桜さえも季節外れみたいに暑くなった。


温泉で汗を流すのもいいかなーと、だが温泉には入らず道後温泉商店街にある団子屋へ。
このいかにも団子!という三色団子を時々無性に食べたくなる。

大きな団子は普通の坊ちゃん団子9個分だと言っていた。(笑)


坊ちゃん団子.jpg

道後温泉.jpg



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観るも、食べるも良し。

ここ数年、花見といえば土佐国分寺の枝垂れ桜からスタートする。

垂れた枝の、光を透かす無数のピンク色した小さな花びらが、まるで舞妓さんのかんざしのようで好き。
先週の土曜日にはまだ一輪も咲いてなかったそうだが、ここにきて一気に花開いたのだろう。

一週間も待てば地元香川の桜も見頃を迎えるだろうが、その数日が待てないんだよな。


土佐国分寺の枝垂桜.jpg


ご存知、南国土佐の桜は早い。
高速から見える日当たりの良い山々では、すでに葉が伸びて色あせた桜がいくらもある。

それでも市内はこれからといったところか。
土佐国分寺から車で30分ほど足を伸ばした高知城でも、ソメイヨシノはまだ三分から五分咲きという感じだ。

高知城と桜.jpg


高知城を訪れたのは25年ぶり。
なんと高校生以来。
昔から馴染みあるお城っていいなと思った。


そして昔馴染みといえば、私にとって浜幸(はまこう)のお菓子を忘れてはならない。
高知土産で人気の銘菓「かんざし」の店である。

高知生まれの私が生まれて初めて食べたお菓子も浜幸。(笑)
まだヨチヨチ歩きの頃でも、ウィンドーの前に座り込んで動かなかったほど浜幸のお菓子が好きだったらしい。
それは今も変わりなく、どんなお菓子よりも浜幸の味が一番おいしいと私は思っている。

だから、高知へ行くと必ず浜幸に立ち寄る。
今日は季節柄、桜餅を選んでみた。

浜幸の桜餅.jpg

観るも良し、食べるも良し。


土佐の高知のはりまや橋で、picchuさん「浜幸」食べよった。(笑)

よさこい よさこい


再会の悦び。

修理のため、長い間その姿を仰ぐことができなかった姫路城。

『大天守の再オープンは平成27年3月27日!』というニュースがちらほら届くようになって、頭の隅で「行きたいな~」と思っていた。
しかし昨年の夏、久方ぶりに城の全貌が見えるようになり、そのあまりの白さに「白すぎ城」とまで言われた写真がネット上にアップされると、私も思わず「えー」となった。

ほんとだ、白すぎる。

汚れやくすみで褪せた姫路城の姿が脳裏に焼き付いたままで、本来の姿だというその白さに違和感を持ったのだった。
それよりも、先に「白すぎ」という見出しの文字が飛び込んできて、「白すぎて変」というイメージが刷り込まれてしまったのかもしれない。

だから、姫路を通過する際でも城に立ち寄ることもなく、これまで月日が流れてた。


それでも、『3月27日グランドオープン!』の声が聞こえてくる。
今週半ばからは祝いのプログラムがめじろ押しのはず。
そしてオープンしてしまったら、ちょうど花見の時期と重なって、それは恐ろしい混みようが想像できる。


今日は天気もいいし気温も高いし、、、ということで、白すぎ承知で行って来た。


姫路城3.jpg


姫路城4.jpg


実物は、想像を大いに裏切って、その白さが殊さら美しかった。

友人が教えてくれた。
黒い板張りの岡山城に対して漆喰の姫路城、烏城と白鷺城、男城と女城。
黒白の対比からしても、この白さが最も美しい。


まだ天守に登れなくとも、城の周りは多くの人で賑わっていた。
待ちわびていた日がもうすぐ来る悦びが伝わってくるようだった。


まるでおしろいを塗ったような真っ白で愛らしい姫路城、おかえりなさい!(笑)

そこらじゅうに植えられた桜の蕾も膨らんで、青空に映える天守を見上げながら、いい季節の訪れを感じた今日。


人の入りが落ち着いた頃、今度は愛犬たちを連れてこよう。



ゴディバと、旅の思い出。

2005年ということは、もう10年も昔のことなのか。

ブリュッセル中心部、『グラン・プラス』という大広場から少し路地裏に入った処だったと思う。

ブリュッセルを訪れた人なら検討がつくだろうか。
確か、ブリュッセル一の有名人『小便小僧』の近くだったと記憶している。

美味しそうな匂いが鼻をくすぐった先に、店先で焼き立てを売っているワッフル屋さんがあった。


それは、ほっかほかのワッフルにとろけたチョコがまぶしてある。


甘さと苦味の絶妙なバランス。


一口食べただけで口の中から全身に幸せが広がる。(笑)
それくらい美味しかった。


ところが、2口目に行こうとして手が止まった。

あまりにもチョコがとろけ過ぎて、次に口へ持っていったなら、間違いなく白いコートにチョコレートがついてしまう。

ワッフルを持たない手には荷物。
さほど治安の悪くないブリュッセルでも、路地裏で荷物を足元に置くのは不用心だろう。


チョコか、コートか。

コートか、チョコか。



迷っている間もチョコレートは手から溢れでそう。
真剣に、真剣に悩んで、その時の私はコートを選んだのだった。


ゴディバ.jpg



本日、戴きもののゴディバのチョコに胸弾ませながら、そんなベルギーでの思い出が蘇った。

あの時、あのワッフルを捨てるしか方法はなかったか?

未だ悔やまれるが(笑)、それでも今目の前にゴディバがある。 
チョコ好きな私には、それはとても嬉しいこと!



春、告げる者。

写真展の帰り、懲りもせず栗林公園に立ち寄ってみた。

今年六度目。(笑)


梅は未だ盛りを見せ、ヤブツバキもまた見頃だった。
桜の蕾はまだ固そうだったが、それも次期ちらほら開いてくるだろう。

今年は梅の写真を満足ゆくまで撮ったから、今日はただぼおーっと眺めていよう。
天気も良く、気の向くままに園内を散策しようと思った。


栗林公園・南梅林6.jpg

多くの人がカメラを構える中、その日私は写真を撮らないつもりだった。

ところが、あちらこちらから「チー、チー」という鳴き声がする。
よく見れば、花蜜を求めて野鳥が飛び交っていた。

思わずスマホを取り出したが、ウロチョロ、ウロチョロ、数秒たりともジッとする気配はない。


「野鳥を撮るのはむずかしくてねぇ。」 近くに居たおじさんと目が合った。

「1秒間に5回連写するカメラを使っても、なかなか撮れないんだよ」と、見れば立派な一眼レフを肩に下げていた。

私はそんな本格的に撮ろうとは思わないが、それでもせめて梅の花に留まるメジロをとらえたいとスマホを掲げた。
別にスマホの底力を見せようという気はない。(笑)

ピントは合わず、ただ適当に鳥がいる場所めがけてシャッターを押す。
あてずっぽうだから、切るんじゃなくて押す。(笑)


メジロ2.jpg


嬉しそうに舞う姿に、春を待ちわびていたのは人間だけじゃないんだと気づかされた。

春を告げるのも花だけじゃない。



「おじさん!奇跡の一枚が撮れたよ!」 

そして、スマホだってなかなかやるもんである。(笑)

メジロ.jpg



香川がアートなんだ。

広島に住む友人から写真展の知らせがあった。


その名も、『フォト・ラボK』

フォトラボK2.jpg


「アートとして香川を記録し続けるためのプロジェクト」とし、
講師である写真家(大阪芸術大学客員講師)の所幸則氏と受講生14人の作品を展示しているという。

あらゆる展覧会で賞を取っている友人でも新たに講座を受けるんだという意外さと、
「半年間の講座で写真に対する考え方がかなり変わりました。すごい講座でした」という彼の言葉が心に残り、どんな作品が会しているのか楽しみに高松へと向かった。

何より、アートとして香川を観るという視点に関心を抱いた。

いつも何気なく通りすぎる風景の一瞬が切り取られる。
極々普通の地味な女の子がある時突然スポットライトを浴びたように、取り立てて褒めることのない光景がその時主役になる。

自分なら絶対にカメラを向けないだろう場所が、
間違えてシャッターを切ってしまったら、きっと削除したであろうアングルの景色が、

なぜか他の人のレンズを通すと芸術になっているから不思議だ。


面白い。


でも、やっぱり自分の大好きな地元がこんなふうに写る、いや映るんだという発見が一番面白かったかな。


フォトラボK.jpg

感性という言葉で片付けてしまうには、あまりにも勿体ないように思った。



友人の作品は5点。

磯崎君・写真展2.jpg

磯崎君・写真展.jpg

せっかく香川に来てたんだったら知らせてよねっ。

写真を前につぶやきながら(笑)、彼の目にはこんな香川の表情が見えたんだなと、


う~ん、もしかしたら香川の方が彼の前でこんな表情を見せたのかと、色々思い巡らせた。



里の春。

久しぶりにブログを開いてみたら、ブログ友達であるタケさんの日記に心が躍った。(笑)

なぜなら、そこに満開の春があったから。

須崎・桑田山.jpg


庭園や庭先では梅の花が咲き誇り、段々と春めいてきたといえどもまだ冷たさに手を擦る朝もある今日この頃、本物の春が待ち遠しいのは『早春賦』のとおり。

春と知ってしまった以上、寒さ厳しい冬よりも胸が急かされる思いは誰しも同じだと思う。


その思いが、タケさんのブログにアップされた写真のせいで一気に弾けた。

私も!と思い立ったら、母と愛犬2匹を連れてすでにハンドルを握ってた。(笑)


高知県は須崎市。
桑田山の雪割り桜で検索すると、それはすぐに見つかった。

ソメイヨシノよりも濃いピンク色と、桜らしからぬ独特の匂いが印象的だった。


一足お先に、のどかで優しい里の春。

須崎・桑田山2.jpg


満開の桜を見て、「ああ、やっと本当に春が来たんだなあ」という気になるのは私が日本人だからだろうか?



雪割り桜3.jpg

わが家にも持ち帰った、里の春。



男雛と女雛。

お雛様.jpg



私が23、4の頃、勤めていたデイサービスに100歳近いお婆さんが利用していた。

その方はハンカチを口元に当て、入れ歯をカチャカチャさせながら「亡くなったお爺さんがそれはそれは優しかってねぇ」と言うのが口癖だった。

ある日、私は入浴介助をしながら「じゃあ、喧嘩したこともないん?」と聞いてみた。
「喧嘩なんてしたことあるもんな。 お爺さんに怒られたこともないわ。」


「あ、一度だけ怒られたことがあった。」
「へぇ、それはどんな時なん?」

「結婚して間のない時やったかなぁ、何も考えずにお爺さんの右側に立ってしもうてねぇ。」

「え? たったそれだけ?」
意外な返事だったから、この会話は今もしっかり覚えている。

「でも、なんで右側に立ったらいかんの?」
「そりゃぁ、女が殿方の右に出るなんて失礼やし、図々しいわな。」

「そういえば、『右に出る者はない』って言葉があるくらいやもんね。」
その表現をよく思い付いたと我ながら思い、手を打った。


男女の優劣の話ではない。


生きていれば110歳を優に超えた明治生まれの女性の話。
今でも私の心の奥深くにある、何故かとても大切なことを教わったような。


* * *


どうしてこの話を思い出したかというと、男雛と女雛の飾り方から。


私は京の飾り方である左側にお内裏様の方がしっくりくるんだけれど、こちらでも関東の飾り方が一般的になってきて、殆どが左側にお雛様が置かれている。


左右どちらが上座かということでもなく、何気ない立ち位置でもそれらを大切にしていた昔の人の心配りに日本の春を感じたのだった。




入植と先住民、論争半世紀ーオーストラリア。(朝日新聞)

私たちの国は、誰がつくったのか。
自国史の根本を問うような論争が、英国の植民地から独立したオーストラリアで半世紀も続いている。
政権交代で右派と左派が代わるたびに、先住民と入植者の扱いをめぐる「揺り戻し」が繰り返されてきた。


最初の揺れは1960~70年代から始まった。
72年には23年間続いた保守から労働党へ政権が交代。
歴史の授業では「豪州大陸で何万年も前から暮らしていた」と先住民アボリジニーが取り上げられるようになり、入植者による過去の虐殺や土地収奪に光が当てられた。
急な変化に、教える側にも戸惑いが広がった。

今度は96年に保守連合を率いたジョン・ハワード氏が首相に就任すると、「英国人の入植は豪州にベストな出来事だった。誇りを取り戻させろ」と、歴史教育の見直しを命じた。
「負の歴史ばかり強調しても、子供の将来のためにならない」が持論だ。

労働党が政権に返り咲くと、首相のケビン・ラッド氏は2008年、アボリジニーに対する初めての公式謝罪を議会で行った。
その後、各州でばらばらだったカリキュラムも全国で統一され、「先住民の歴史と文化」が盛り込まれた。

政治の揺さぶりはいまも続く。
2年前の政権交代で就任した保守派の教育相は、できたばかりの統一カリキュラムの見直しを命じ、作成時の労働党の教育相は、「教育を使って政治家のイデオロギーを若者たちへ押しつけるのはやめるべきだ」と反論する。

一方、振り子のように行ったり来たりする展開に、現場の教師たちには、不満がくすぶっている。
シドニーの幼小中高一貫の私立校で歴史を教えるマイケル・ニート教諭は、先住民に対する視線について「和解の時代に向かう歴史の流れには議論の余地はなく、私もそう教えている」と話す。
「一番悔しいのは、政治家に授業を思い通りにできると思われていること。政権の思惑に左右されずに子どもたちに事実を教え、自力で是非を考えさせる。それがプロの教師だ。」




(郷富佐子)

「加害」と向き合う途上ーポーランド。(朝日新聞)

東のロシア・ソ連と西のドイツに挟まれ、国土を侵害され続けてきたポーランド。
その膨大な被害の記憶を抱く国がいま、自らの「加害」の歴史と向き合う困難の中にいる。


ワルシャワ中心部の「ポーランドのユダヤ人歴史博物館」で昨年10月、常設展示が始まった。
ポーランドで暮らしたユダヤ人の千年がテーマ。
復元した17世紀のユダヤ教の礼拝所シナゴーグの天井が展示の目玉だ。
タッチパネル式のクイズで、子どもたちがユダヤ文化を学んでいた。
明るい過去を2時間ほど歩くと、ユダヤ人迫害の暗い歴史が始まる。
ナチスだけでなく、ポーランド人によるユダヤ人虐殺事件もあった。

ただ、「被害国」ポーランドでユダヤ人への「加害」が語られるようになったのは2000年からだ。
ポーランド北東部の農村イエドバブネで1941年に「村民たちが隣人だった千人以上ものユダヤ人を虐殺した」と歴史家のヤン・グロス氏が告発した。

だが、ポーランド人には受け入れがたかった。
犠牲を払いつつ、市民と軍が抵抗を続けた「被害者」「英雄」という自己イメージが強い。
戦後の共産党政権下では、学校で「ポーランド人はユダヤ人を助けた」と教えられてきた。

一方、告発が議論を呼んだ当時、ポーランドの目前には悲願のEU加盟があり、「欧州共通の価値観」を示すことが重要だった。
国は調査に着手。
同様の虐殺がほかにもあったとの報告書を発表した。

それから10年以上が経つものの、教育現場は揺れ続ける。
高校で歴史を教えるエバ・ピウニクさん(52)は「負の歴史を学校で扱うのは難しい」と話す。
ウロツワフ大学のヨアンナ・ボイドン教授が主要な高校の歴史教科書を調べたところ、イエドバブネ事件が取り上げられたものは一つしかなかった。

「この問題を扱うのに抵抗を感じる教師もいる。授業で扱うのはまだ時間がかかる」と指摘する。




(星井麻紀)

教科書と違う見方も紹介ーコソボ。(朝日新聞)

ある国の英雄が、隣の国ではテロリストになる。
1990年代、フランスほどの広さに約10ヶ国がひしめくバルカン半島。
自民族中心の歴史観が、血で血を洗う紛争に発展した。
最後に紛争をくぐり抜けたコソボは2月、セルビアからの独立7周年を迎えた。


首都プリシュティナ。
大きな吹き抜けのある近代的な校舎の一角で、歴史教師エンベル・サディクさん(50)が、日本の高校3年にあたる生徒たちに第二次世界大戦中の指導者たちの写真が並んだパソコン画面を見せ、問いかけた。

「チトーはどれ?」

多くの民族を束ねながらナチス・ドイツの占領軍と戦い、後に連邦国家ユーゴスラビアを創設。
バルカン半島の20世紀を象徴するその人物を指せた生徒はいなかった。
見分けられたのは、自国の多数派であるアルバニア系民族の政治指導者だけだった。

「では、戦争中の対立を超えた人間同士のつながりを考えよう。」
先生の呼びかけに1人が立ち上がり、チトー側の兵士が敵対する民族派兵士に親近感を覚えた事例を紹介した。
クラスは事前に副読本から素材を選ぶよう指示されていた。サディクさんは「違う資料にあたれば違う事実が見えてくるね、」と応じた。

民族紛争を経て、各国の歴史教科書は、しばしば互いに食い違う。
そんな地域で、サディクさんは「複眼的な歴史教育」を目指す。

教材は、ギリシャに本部がある国際NGO「南東欧州の民主主義と和解センター」が周辺13国を対象に発行する共通の副読本だ。
各国の研究者が、それぞれ違う資料を持ち寄り編集した。

サディクさんは8年前、和解センターの研修に参加した。
自国の歴史についてさまざまな角度の見方を紹介し、生徒たちに考えさせる手法に目を開かされた。

例えば、コソボがオスマン帝国領からセルビアに編入された1912~13年のバルカン戦争。
中世コソボを国の発祥の地とするセルビアにとっては「聖地の解放」だが、多数派のアルバニア系住民には、独立を果たしたアルバニアから切り離された「歴史の不条理」だ。
サディクさんは「生徒がどう考えるか、討論が重要になる、」と言う。

これまで同様の研修に参加した歴史教師は、コソボ全土の約1100校のうち35校150人にのぼる。

高校教師ベシム・ハリティさん(38)は紛争当時、セルビアがテロリストと見なすコソボ解放軍兵士だった。
そのハリティさんが今、授業で20世紀初めのセルビアの野党指導者が「他民族を圧迫してはならない、」とバルカン戦争に反対した演説を取り上げる。



こうした試みは、セルビアでも広がっている。


セルビア南部ブヤノバツ。
高校教師ヨビツァ・ベリツコビッチさん(55)は2年前から和解センターの副読本を使う。
「民族紛争の傷を広げてはならない。歴史教育は、穏やかなものであるべきだ、」と話す。

ただ、紛争で再出発した各国にとって、歴史は国のアイデンティティーそのもの。
コソボでは独立を否定する素材は受け入れられず、歴史教育の修正は政治的に微妙な問題だ。
推進役のコバチ和解センター事務局長は「急がず、一歩一歩進めたい、」と言う。




(喜田尚)

ギリシャ危機再燃。ー欧州経済の現状を知る(日本経済新聞)

(2011年12月19日)



<一つの欧州を目指す大実験(1)>

欧州では2度の世界大戦を引き起こし多くの犠牲者を出した反省から、戦後に一つの欧州をつくろうとの機運が生まれました。
これを受けて1967年に「欧州共同体(EC)」が発足し、欧州域内の市場と経済の統合が進められました。
93年には政治分野も含む広範な協力関係をつくることを目指しEUが誕生しました。

欧州統合の一環として実施されたのが、域内の各国が共通の通貨制度を導入する通貨統合でした。
各国の独自通貨を廃止し、欧州全体で一つの通貨を使う歴史上類を見ない試みです。
98年に域内の金融政策を一元的に担う中央銀行「欧州中央銀行(ECB)」が設立されました。
99年に当時EUに加盟していた15ヶ国のうち、英国、ギリシャ、スウェーデン、デンマークを除く11ヶ国間の為替相場が固定され、金融取引で使用する単一通貨としてユーロが誕生。
2002年にはユーロ紙幣・硬貨の流通が始まりました。


<一つの欧州を目指す大実験(2)>

EU加盟国は6度にわたる拡大により現在28ヶ国となり、ユーロ導入国(ユーロ圏)も19ヶ国に増えています。
ユーロ圏内は通貨が同じなため、国境を越えた貿易や金融取引をする際、為替変動で損失を被るリスク(為替リスク)がなく、両替手数料も払わずに済みます。
各国企業は国境を気にせず、ユーロ圏全体を舞台にビジネスを展開できるようになりました。

世界の貿易や金融取引で流通する通貨を「国際通貨」といいます。
ユーロは導入国の間だけでなく周辺国の間の決済でも利用されており、米ドルと同じような国際通貨の役割を担いつつあります。


<ギリシャの財政不安が欧州全体に波及>

EUの発足以来、欧州経済は堅調に成長してきましたが、09年に大きな危機に直面します。
ユーロ圏加盟国に対する財政不安の連鎖がユーロの急落と金融市場の混乱を招き、実体経済に悪影響を及ぼしました。

この欧州経済危機の発端となったのはギリシャの財政粉飾でした。
09年にギリシャで新政権が発足した際、前政権が巨額の財政赤字を隠していたことが発覚しました。
ギリシャ国債の元金と利息が支払えなくなる「デフォルト(債務不履行)」に陥るのではないかとの不安が金融市場に広がり、国債の価格が急落(利回りは上昇)。
ギリシャ国債を大量に保有していた欧州各国の金融機関は経営が悪化し、欧州全体の金融機能の低下を招きました。
ギリシャはユーロ導入国でもあったため、ユーロ相場も下落しました。

EUは危機の拡大を防ぐため、国際通貨基金(IMF)やECBと協力してギリシャ支援の枠組みを構築し、10、12年の2回で計2400億ユーロ(約32兆円)もの金融支援をしました。
同時にEUは支援の条件として、公務員の給与削減や人員整理、国有資産の売却など、厳しい財政緊縮策の実施をギリシャに求めました。

ユーロ圏の加盟国であるギリシャは独自の金融政策をとれず、自力での財政再建が難しいため、これを受け入れました。
これによりギリシャに対する財政不安は和らぎ、欧州経済危機は沈静化しました。
しかし、厳しい緊縮財政をきっかけに、ギリシャは深刻な不況に陥り、国民の緊縮財政への反発が強まりました。
09年から6年連続でマイナス成長が続き、相次ぐ増税により国民の手取り収入は大幅に減っています。
失業率は約26%に上り、若年層に限れば50%に達しています。


<新たな支援を巡るギリシャ・EUの交渉が難航し再び危機のおそれ>

ここにきて、欧州経済の行く末に再び暗雲が立ち込めています。
15年1月のギリシャの総選挙で、財政緊縮策に反対する急進左派連合が圧勝しました。厳しい緊縮財政に対する国民の不満や不安が反映された結果です。

首相に就任した同連合のチプラス党首はEUに対し、支援の条件の緩和や債務の減免を求めています。
しかしEUはこの要求に難色を示しており、交渉は難航しています。
現行の支援合意は15年2月末が期限です。
もし交渉が決裂して支援が延長されなければ、資金に窮したギリシャが財政破たんに追い込まれ、欧州が再び経済危機に直面する恐れがあります。

ぎりぎりの交渉が続くなかで、EUは2月20日に開いたユーロ圏財務相会合で、ギリシャ向けの金融支援を4カ月延長することを決定。
現行の支援の枠組みを基本的に維持し、ギリシャが改革を断行することを条件に折り合いました。
ギリシャは当面の資金繰りにメドが立ち、懸念されていたギリシャの財政破たんはひとまず回避された格好です。

ただ、支援の枠組みが続いても、ギリシャ問題が抜本的に解決するわけではありません。
今後、財政不安を抱える他の南欧諸国などでも「反EU」を掲げる政党が伸長する可能性もあります。

欧州が一つの欧州の理想実現に向けて、再燃するギリシャ問題を乗り越え、世界の金融市場や実体経済への悪影響を回避できるのか。
欧州経済は再び正念場を迎えています。

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