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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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岡山の清水白桃。

大学時代、夏休みに広島から香川に帰省する際はいつも、岡山駅での乗り換えが楽しみでしかたなかった。

今は改築して新幹線から在来線への乗り換えの距離が短縮されたが、当時は長い通路を歩かねばならず、その通路脇で、この時期ずらーっと並ぶのが、岡山産白桃の露店だった。

箱詰めの高価な桃は眺めるだけ。
少し傷のついた、しかし傷物でなければ結構なお値段になりそうな桃を探した。

確か、学生だった私が買ったのは500円の傷桃1個だったように覚えている。
それでも、大荷物とは別に大事に大事に抱えて帰ったのだった。

今でも時々思い出したかのように、「あの時食べた桃の味は忘れられないね、」と母は言う。

そういえばここ数年、桃を食べても地元産のものばかりだったと気がついた。
隣町の特産品のひとつが桃ということもあり、貰ったり安く手に入ることが多かったせいもある。


岡山・清水白桃.jpg


香川でも清水白桃を生産しているが、なんなんだろう、あの岡山産の別格なおいしさは。

乳白色の柔らかい皮をつるっと手で剥いて、がぶりと齧り付く幸せ。(笑)


先週、備中松山城からの帰りに、親友宅でその清水白桃をごちそうになり、お土産まで貰ってしまった。
親友の家から車で10分も走れば、道路脇に続く桃畑。

「春に桜が終ると、ここは一面桃の花でいっぱいになるのよ。」

白桃の花は遅咲きなんだろうか。
それにしても、桃の花がどこまでも広がる風景ってまさに桃源郷なんだろうな。
その季節にも訪れてみたいし、でも、やっぱり一番は白桃の実がなる今がいい。(笑) 


戴いた桃はあっという間になくなった。
そして、「桃は岡山産の清水白桃じゃなきゃ!」と、改めて思った。

「今年の桃はどの種も例年より早いから、清水白桃はもうすぐ終わるらしいよ。」
岡山在住の友が親切に教えてくれた。


そこで今日、私はわざわざ岡山に用事を作り、そのついでに産直市場をのぞくことにした。
正確には用事の方がついでだが。(笑)


岡山産直.jpg


こうはっきり書かれていれば、ここに桃があることは一目瞭然!
安くて美味しい桃を狙う多くの人たちを押し分け、私も桃とり合戦に参加して来たのだった。(笑)

たった今、また一つ食べてみた。
うん、やっぱり桃は岡山の清水白桃じゃなきゃ!!



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乗り鉄になる!

大阪に住む友人が、ご主人と共に生後7ヶ月の赤ちゃんを連れてやって来た。

13年前、オーストラリア旅行で出会った友達だ。


ご主人は世界160ヶ国を旅しているツワモノで、国内も都道府県すべて制覇している。
その上、乗り鉄。(笑)


その彼の希望もあって、香川の私鉄である高松琴平電鉄(通称、ことでん)の琴平線に乗ることとなった。

琴平線は、もともと金刀比羅宮参詣のために開業したもので、高松築港駅と琴平を結んでいる。

高松築港駅は高松城跡(玉藻公園)のすぐ近くにあり、月見櫓がホームから間近に見える。
琴平駅は言うまでもなく金刀比羅宮の最寄りとなる駅で、1865年に建てられた日本一の高灯篭の隣りにある。

今回、幼い赤ちゃんが一緒ということもあり、乗った区間は琴電琴平駅から綾川駅までの8駅、僅か20kmほどを往復した。
高松より琴平を選んだ理由は、この後琴平からJRで3つめの多度津駅でJR四国のレアな車両を見るためだ。(笑)


ことでんには小学生の頃に数回乗ったことがあるだけで、JR沿線に住む私はあまり縁がなく、琴平から乗るのも初めてでちょっとした冒険だった。

列車は30分に1本。

昔ながらの改札口で切符を渡すと鋏で切ってくれた。


コトデン.jpg


今じゃ都会ではICカードなんだろうが、私の町のJRの駅はスタンプを押してくれる。
まだまだ時間が止まったままだが、それでも改札鋏はとうの昔に姿を消してしまって、ここ何十年拝んだこともない。
だから、この改札鋏が懐かしすぎて、ちょっと興奮してしまった。


そこから先はテンションあがりっぱなし。(笑)


コトデン2.jpg


運転席の写真を撮ってみたり、車内の天井でクルクル回る扇風機にも大はしゃぎしたり。


コトデン4.jpg


列車についての薀蓄は右耳から左耳へとスルーしたが、こんな近くにこうも面白い乗り物が残っていたのかと嬉しくなった。

たぶん線路も昔のままなのだろう。
ガタンゴトンと大きな音に合わせて跳ねる身体を、椅子から転げ落ちないよう保つのに必死だった。


もともと鉄道好きな私だが、その日自分の隠れた一面を知ったような、僅かながらも鉄道の旅を満喫。



また乗ろう、と密かに思っている。


コトデン3.jpg



備中松山城の旅。

岡山県高梁(たかはし)市にある備中松山城。
標高430mにあり、現存12天守の中で最も高い場所にある山城なんだそうだ。

数年前に雲海に浮かぶ竹田城跡(兵庫県)が注目され、一時期「天空の城」ブームになったが、備中松山城もそのひとつ。
(以下、松山城・・・愛媛の松山城とは異なる。)



「今回は私が岡山へ行く番だね。」
岡山に住む大学時代からの親友M子と1年半ぶりの再会とあって、日にちが決まってからは楽しみで楽しみで。

岡山市内や倉敷でカフェや美術館巡りもいいけれど、たまには体力を使う遊びもいいかも。
それなら以前から気になっていた松山城へ、ということで私が提案したのだった。

高梁市には数年前にも訪れたことが何度かあるが、お城はまだだった。
一番の観光名所と分かっていても、急な山道で知られているだけに「また、いつか」と先送り。
一人で行くのも寂しいし、かといって高齢の親には無理な話だろう。
ならば、富士登山の経験もあるM子なら、との思いつきだった。


「降水確率が高かったのに、さすがは晴れ女のpicchuちゃん。」
実は、その日の前日は四国の山奥では大雨が降り、高知発岡山行きの特急列車は運休となるほど天候が不安定だった。
けれど、いい感じに薄曇りとなってくれ、暑さもさほど厳しくない。


お城のある臥牛山の8合目の駐車場で車を降り、そこから700mの道のりだった。
登山口に置かれていた竹でできた杖を借り、うっそうとした山道へと入って行く。

少し息が上がったころ、下って来た青年が声を掛けてくれた。
「これからが大変ですよ。僕はちゃんとした登山の格好で来ればよかったと思いました。」

「どうする? うちらめっちゃ軽装だよね。」
M子と二人顔を見合わすも、「徒歩20分ほどって書いてたから、まあ、なんとか登れるでしょ」と、そこから先も大声ではしゃぎながら登っていった。

確かに、細く急な道もあったが、四国遍路で鍛えた足腰。
と、それは大袈裟であるが(笑)、四国八十八箇所の難所と呼ばれる山道と比べればなんてことない。
最初のおどし(?)のおかげで、意外と楽に登れた方だ。


備中松山城4.jpg


それでも、切り立つ岩壁の城塞に圧倒され、次第にただの山から城の造りになってきて、密かに城ブームが起こっている私の心は弾むのだった。(笑)


備中松山城.jpg

備中松山城2.jpg


「結構、立派な城じゃない! 小さな天守閣だけど威厳があっていいね。」
期待以上の風格に、ちょっとした感動。
堂々とした姿は実際よりもお城を大きく見せていた。

見物客もまばらで、天守内をわが物顔で見て回れたのも贅沢な話。
「装束の間」という城主の御座所では戦国時代の戦乱の紙芝居がDVDで放映されており、気持ちの良い隙間風に癒されながら、ひと時歴女と化していた。



「このお城の絶景ポイントへはどうやって行けばいいのですか?」

「紅葉に覆われて雲海に浮かぶ、まさに天空の城」の写真を見て、管理人さんに尋ねてみた。

「車で行くなら・・・、」と詳しい説明の後、「実は、歩いても行けるんだよ。」

「近世の城として紹介されてる松山城だけどね、この背後にある道を進んで行くと中世の城郭の遺構が見られるんだよ。
このお城は小松山城、山頂にある大松山城へ登るまでが20分くらい、そこから吊り橋を渡って40分ほど歩くと展望台に辿り着くから。
遊歩道になっているから、時候がいい時にでもまた来られるといいですよ。」


中世の城跡。
その響きに、冒険好きな二人の心はピクッと反応するのだった。


雲海が見られるのは、秋から冬にかけての、よく晴れた早朝。
その日はもちろん、そんな幻想的な景色を見られるわけでもないが、気分が盛り上がった二人は車でその展望台を目指すことにした。


雲海展望台より.jpg


スマホなので拡大しても殆どわからないくらい小さな天守だが、いい景色だった。
暑い盛りの午後、当たり前だが他に人はおらず、ここでもまた、わが物顔。



そして、帰りには岡山産の清水白桃。
甘い香りが口の中に広がり、みずみずしい果汁が乾いた喉を潤す。

久々に大満足の一日となった。(笑)



ユーロ圏の持つ「構造的な欠陥」とは何か。(東洋経済オンライン)

ギリシャに改革を求めるだけでは解決しない。


7月5日に行われたギリシャの国民投票では、EU(欧州連合)が求める緊縮策に対する反対票が6割を超え賛成票を大差で上回り、世界の金融市場には激震が走った。
為替市場ではユーロは大きく下落、リスク回避の動きから円高となった。
その後、ギリシャとそのほかのユーロ圏諸国との金融支援交渉が進展するとユーロは持ち直し、交渉の先行きが危うくなると下落するという不安定な動きを続けている。

ギリシャの財政危機は、2009年の政権交代の際に、それまでの政権が財政赤字の規模を過小に申告していたことが暴露されたことが直接の引き金となった。
1999年に統一通貨ユーロが発足したとき、ギリシャは条件を満たせずに参加できなかったことに見られるように、元々、ギリシャの財政状況については不安が囁かれていた。

財政改革を行って、先発の国々に少し遅れて2001年に通貨ユーロを導入したのだが、振り返って統計をみると、財政赤字のGDP(国内総生産)比は3%を超えており、そもそもユーロに参加した時点からずっと条件を満たしていなかったことになる。

ギリシャの債務問題では、政府が大幅な赤字を続け、政府債務残高が大きくなってしまったことが注目される。
日本も同じように大幅な財政赤字を続け、政府債務残高が膨張しているが、これまでのところギリシャのような問題は起きていない。

日本とギリシャとの違いは、日本は国際収支(経常収支)が黒字基調だったのに対して、ギリシャでは赤字が続いていたことだ。

国際収支の各項目には、「経常収支+資本移転等収支-金融収支+誤差脱漏=0」という関係がある。
2014年度の日本の国際収支統計で見ると、誤差脱漏がかなりの規模ではあるものの、この関係が成り立っていることが確認できる(注)。

(注)2014年に日本の国際収支統計はIMF国際収支マニュアル第6版に準拠したも のとなった。
それ以前の第5版までは、「経常収支+資本収支+外貨準備増減+誤差脱漏=0」となっていた。
資本収支から資本移転等収支が分離されて単独の項目となり、それ以外の部分と外貨準備の増減(正負の符号が逆に定義されるようになった)を合わせて金融収支という項目となった。


統計の誤差を無視すれば、経常収支の赤字はそれと同額の海外からの所得移転を受けるか対外資産の減少(=対外債務の増加)があるはずだ。
先進国では、普通の状況では国際機関や他の国々から大規模な資金援助を受けるというようなことはないので、資本移転等収支が大きな黒字となることはない。
したがって、ギリシャの経常収支の大幅赤字(マイナス)は、金融収支の大幅なマイナスによって相殺されていた。
つまり、海外から毎年多額の借り入れをしていたのだ。

一方、ギリシャが対外債務を返済していくということは、金融収支が黒字になるということだから、今度は逆に経常収支は黒字になっていなくてはならない。
しかし、これを実現するためにはギリシャに「構造改革」の実施を求めるというだけではとても無理だろう。

そもそも大幅な経常収支の赤字が続いていたというところからみて、ユーロに参加した際にギリシャの旧通貨・ドラクマの対ユーロでの換算率が高く、ギリシャ国内の物価が他のユーロ圏諸国に比べて高過ぎたとみられる。

仮に百歩譲って2001年にギリシャがユーロを導入した際に、ギリシャと例えばドイツとの消費者物価の水準が等しかったとしても、その後ギリシャの物価上昇率が高かったために、2012年にはドイツよりも2割近くも物価水準が高くなっていた。

ギリシャにはめぼしい輸出品がないことが貿易収支の大幅な赤字の原因とされるが、国内物価が他のユーロ圏諸国に比べて割高となっていたため、割安な製品の流入を加速して赤字をさらに拡大させる方向に働いたはずだ。
また、国際収支の黒字を稼ぐ観光業でも、ギリシャ旅行が割高となって需要が抑制されていたと考えられる。

仮にギリシャがユーロに参加しておらず、そのまま昔の通貨であるドラクマを使っていたとすれば、物価が高くなり過ぎて大幅な経常収支赤字が続けば、ドラクマは下落する。
そしてドラクマの下落によって、輸入が減少して輸出や観光業の黒字が拡大して、貿易・サービス収支の赤字を縮小させるというメカニズムが働いたはずだ。

しかし、同じユーロを使っているギリシャとドイツの場合には赤字を縮小するためには、物価の格差が縮小してドイツからの輸入が減少するか、ギリシャの所得が大きく減少して輸入ができなくなってしまう必要がある。
厳しい緊縮財政によって物価上昇率が低下したのでドイツとの価格差は縮小しているが、まだその差はかなりある。
ギリシャの失業率は20%を超え、所得の減少で輸入ができないという効果も大きい。
IMFの予測では2020年でも物価の差はかなり大きく、まだまだ厳しい状況が続く。

為替レートによって収支の調整が行われないという意味では、例えば日本国内の一定地域とそれ以外の地域との間の収支もユーロ圏と同じ状況にある。
例えば、特定の県の県境で収支が確認できたとすれば、地方の多くの県では県外との収支(経常収支)は赤字だろう。

このような状況は高度成長期以降ほとんど変わらないと思われるが、こうした状態が長年続いても、ギリシャのような問題が起きないのは、地方交付税制度によって多額の所得移転が行われているからだ。
現実には夕張市のような例を除けば、日本では地方自治体の収支で著しい赤字はほとんど見られない。
しかし、地方交付税制度がなかったとしたら財政収支が大幅な赤字となっている道県があり、県外との収支(経常収支)もかなりの赤字になって、県外からの資金の借り入れに依存していたと考えられる。

ユーロ圏の問題として、金融政策は統合されていてECB(欧州中央銀行)が決定した金利が一律に適用されるのに対し、財政政策は各国がばらばらに行っているからだと説明されることが多い。
財政政策を統合することが必要だということになるが、単に各国が行っている財政政策を制限するだけではうまく行かないだろう。
所得水準の低い国々と高い国々の間の格差が、何もしなくとも自然に縮小するとは考えにくい。

財政の統合ということの中には、一人当たり所得の多いドイツなどから、一人当たり所得が低いギリシャなどへ、毎年かなりの規模の所得移転を行うということが必要になるはずだ。
ユーロが発足する際には、こうした問題を十分に検討すべきだったのだ。
しかし、欧州を統一するという政治的な野心のために、現実の経済が引き起こす問題への対応策は棚上げされていた。
ギリシャ財政の「粉飾決算」がユーロ圏の危機が悪化する直接の引き金となったが、それがなくてもいつかは問題が顕在化したに違いない。

さて、日本の場合ギリシャとは違って、海外に多額の債務を負っているということはないので、問題は国内の債権と債務の調整だ。
法律によって債権を削減したりすることは不可能ではないが、現実には政治的に非常に難しいだろう。
誰が債務削減(国債の帳消し)でどれだけの金融資産を失い、誰が債務履行(国債償還)のために増税や歳出削減という形でどの程度の負担を負うのか、誰もが自分の負担を軽くしようとするはずだから意見はなかなかまとまらないだろう。

国内問題であるからこそ、利害の調整がより難しいという側面もある。
海外との関係であれば、ギリシャ問題のように資金を貸した国々や国際機関が登場して、厳しい政策を強いて、これ以上問題が拡大しないようにする。
しかし、国内問題では誰も本質的な解決に取り組まず問題は先送りされて、その間に問題がさらに拡大するということになりがちだ。
日本はギリシャとは違うから大丈夫ではなくて、逆に誰も厳しいことを言わないので問題がもっと深刻になる恐れが大きいことを肝に銘じるべきである。




(櫨 浩一)

財政破綻の常習犯ギリシャが甘やかされる理由。(ダイヤモンド・オンライン)

先日、米国のオバマ大統領が、ギリシャやドイツなどEU主要国の首脳と電話会談を持ちました。
ギリシャの財政問題が欧州内だけで封じ込められ、米国に経済的な影響が波及しないかという面のチェックと、軍事面のリスクを抑えられそうかという確認が目的だったようです。

ギリシャは地中海の「地政学的な要所」で、それが、オバマ大統領の電話会談の理由です。
ギリシャの背後には、現在、紛争地域であるウクライナや中東があります。
このような地政学的な要地であることが、歴史上、ギリシャを特別扱いする要因となっていたのです。

ギリシャのチプラス首相はギリシャ共産党の出身であるせいか、中国やロシアとも深い関係を持っています。
中国はギリシャ随一の港湾を買収しようとしています。
ロシアからはエネルギーの供与が提案されています。

また、欧州の人々はその思想や文化の起源をギリシャに求める向きもあります。
ローマ帝国ですらそうでした。
これもギリシャを特別扱いする理由でした。
ドイツなどの欧州を始め、移民が中心の米国ですら、建築物を始め、いたるところにギリシャ神話を含めたギリシャ文化に対する憧れの象徴が見られます。


<ギリシャのユーロ脱退はあり得ない>

ギリシャのユーロ離脱の議論については、残念ながら通貨についての基本的な知識が不足しているものも多数見られました。
そもそも、EUの条約に「ユーロ離脱」についての規定はありません。
逆に「EUに加盟したら可及的速やかに、ユーロに移行すること」と明記されています。
つまり、ユーロ導入は一方通行の「帰らざる河」なのです。

それでも、なお、ユーロ離脱の議論をするのであれば、これがユーロの規定にない以上、それはEUそのものからの離脱を意味します。
EUの中では、関税その他が取り払われ、EU全体で産業分担がなされ、各国が相互優遇的に対応されています。
このような仕組みを持つEUからギリシャが抜けて、経済的に生きて行けると考える人は少ないのではないでしょうか。

さらに、旧通貨ドラクマを復帰させることなどは技術的にも困難で、まったく非現実的なのです。
まず、為替レートですが、どのレートにするかの算定は実質的に不可能です。
統合時のレートに戻すとしても、その際、ドラクマの暴落は避けられません。
また、通貨量(マネーサプライ)にしても現実的にその算定は困難です。
無理にやろうとすれば、GDP規模で計算するのが一案ですが、通貨が独立した後は直ちに金融緩和を行うでしょうから、これもほぼ不可能なのです。

筆者は学生時代から約30年間通貨を研究し、ユーロについては特に研究を重ねてきました。
また、実務面でも、米独仏などの大銀行14行で特殊銀行設立のプロジェクトに日本代表として出向し、ロンドンやフランクフルトに長期にわたって滞在し、担当当局と特殊銀行についての議論を繰り返しました。

当局とは、中央銀行であるドイツ連邦銀行(Deutche Bundesbank)、英国銀行(Bank of England)、フランス中央銀行(Banque de France)、そしてECB(European Central Bank:欧州中央銀行)の前身であるEMI(European Monetary Institute:欧州通貨機構)です。

当時のメインの課題の一つが、ユーロの導入とその仕組みでした。
それによって、新銀行の機能やシステムが大きく影響を受けるからです。
通貨としてのユーロの理論的な面の理解はしていましたが、そのときにユーロに対する欧州の考え方を中央銀行の担当者からいやというほど学びました。
それは、以下のようなことです。


<ユーロの本当の目的は“欧州キリスト教合衆国”の設立>

ユーロの本当の目的、それはEUの目的でもありますが、アメリカのような「欧州合衆国」の設立です。
さらに、書物には書いてありませんが、欧州の政策担当者と話して感じたのは、その本当の目的は経済圏というよりは大いなる「キリスト教国家」の設立ということです。
そのため、EUにはイスラム国であるトルコは入れません。

ギリシャは長い間イスラム教国のオスマントルコに400年間支配されていました。
欧州主要国にしてみるとキリスト教のレコンキスタ(領土回復運動)の意味もあったのではないでしょうか。

そして、通貨。
特に通貨同盟を研究した専門家には理解できると思いますが、ユーロ発足時に入った国のリストを見て、筆者は驚きました。当初は11ヶ国が入り、ギリシャもリストに入っていました。
実際の参加は2年遅れました。
独仏伊などの主要国が入ることは分かりますが、フィンランドやギリシャは、欧州中央部から離れ、国境を接していません。
通貨を研究した方にはすぐにわかるでしょうが、通常、通貨同盟を結ぶ国は国境を接しているものです。
つまり、ユーロの発足が、経済的な目的ではないことが分かりました。

フィンランドとギリシャは「欧州の東端」を示したのです。
つまり、そこまでが将来の「欧州キリスト教合衆国」の目標圏であるということを世界に示したのです。
このように、平和なキリスト教徒の国への大きな想いがEUを推進しているのです。
この大きな思いが欧州をまとめています。
そういう意味からも、甘やかされてきたギリシャは、今回、本来の統合の流れに逆行するという、あり得ない禁じ手を使ったのだといえます。


<甘やかされ続けてきたギリシャは自力再生できるか>

ギリシャはユーロ参加の時から、財政破綻状態だったともいわれています。
また、先にも述べましたが地政学的な要地で、欧州の東端を占めるために特別扱いされ、それが染みついてしまったのです。

ギリシャは歴史的にも破綻(デフォルト)を繰り返してき常習犯です。
ユーロに参加するときも、財政の数字を粉飾していました。
企業の再建では、本当に約束を守るのかということが重要なのですが、それと同じようにギリシャが国として約束をきちんと守るということが重要なのです。
そのため、欧州側はギリシャ内での法律の制定を命じています。

企業再建では、そのような信頼性も大事ですが、同時に経済力(産業力)をつけることも大事です。
ギリシャはGDPの約8割が観光と海運で、ドイツの製造業のような、これと言って強い産業がありません。

今回、15日にギリシャで関連法が制定されたならば融資が実行され、ドイツ、フランス等、ユーロのリーダーは、まずは、改革案の約束通りの履行を厳しくチェックするでしょう。
それどころか、ギリシャはIMF(国際通貨基金)やECBを含む債権団の管理下に事実上おかれます。
これは大変なことで、国家的には非常事態に入ります。
これは以前、韓国でも行われました。
ドイツ統合時に実質的に破綻していた東ドイツに対して行われた手法ですが、公営企業の資産を基金に集め売却します。

さらに現在のギリシャの年金制度、50歳で退職し、4分の1以上の方が年金をもらっていて、その額がドイツより多い、あるいは、選挙のしがらみで公務員が多すぎる、税金の取れない闇社会が大きすぎる、などの「社会制度」の見直しも迫られるでしょう。

また、今後は一人で生きて行ける「産業力」の強化が大事になります。
先が見えていませんが、まずは本業である観光や海運の改革を推進させるでしょう。
同時に、経済分野の規制緩和も計画にありますが、新たな産業の育成にも注力させるでしょう。
産業力がつかないと、数年後にまた今回の様な危機を繰り返すことになりますから。

そのような経済強化で最も大事なのは、政治家だけではく、国民全体の甘えの気持ちを、真面目に頑張る気持ちに転換することです。
ドイツ連邦銀行の元総裁は、そのような気持ち(気性)をメンタリティといい、その改善こそ最も大事な政策であると強調しました。

ギリシャの経済(GDP)は世界のGDPの1%足らずで、日本との取引も多くはありません。
金融面でも、2012年の民間債務を強制的に削減(減額)した事実上のデフォルトの時から、取引も増えていません。
今回の危機が収集されて、ユーロも安定するならば、日本経済への直接的な影響はほとんどないでしょう。

このギリシャが出してきた財政改革案は、具体的には以下の様なものになっています。
税収増としては付加価値税(VAT)の引上げ、特別軽減税率の引上げ、法人税の引上げ、さらに歳出削減として年金の改革と軍事費の削減となっています。
現在の日本の財政削減策と比べると、日本のそれには歳出削減は入っていませんが、ギリシャ案には歳出削減も入っており、ある程度、評価できます。
企業の再建には支出の削減が必須なのです。

ギリシャのことを調査・分析すればするほど、ギリシャが「近未来の日本」に見えて仕方がありません。
私たちはギリシャのことを笑っていられないと思います。
ギリシャの公的債務の対GDP比率は約180%で、日本のそれは約250%と、日本の方が高いのです。

さらに、ギリシャ経済に悪影響を与えたといわれているオリンピックを、日本はよく分からない巨額の規模で行おうとしています。
ギリシャを他山の石として、日本政府が分析し、日本国民に、日本との比較も加えて、説明してはいかがでしょうか。


<イソップ童話は経済教育に使えない>

筆者が講義や講演、宿輪ゼミでも教えている経済・経営の基本の一つに「国も、企業も、個人も一緒」ということがあります。
結局、国の財政再建は企業の再建と一緒です。
つまり、借金と支出を減らして、商売上の強みを強くする。強みが無ければ作っていくということです。

また、同じく、筆者は経済学の目的は、金融市場が荒れないようにしながら、借金を巨大化させることではなく、国も企業も個人も「どんな環境でも、一人で生きて行ける」ようにすることと考えています。

筆者は、若年層への経済・金融教育の一環で、「アリとキリギリス」などの「イソップ童話」を再び使おうかと考えていました。
しかし、それはやめることにしました。
「イソップ童話」を調べたところ、なんとギリシャ起源の物語であったからです。
彼らも小さい頃から読んでいるはずであったのにもかかわらず、このような状況になっているということから、いかがなものかと思ったからです。




(帝京大学経済学部経済学科教授・宿輪純一)

今朝の事でございます。

芥川龍之介  

蜘蛛の糸

ある日の事でございます。
お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、ひとりでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。

池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のように真っ白で、、、、、





あらら、極楽で咲く蓮の花は白色でありましたか。

そうとは知らず、ピンク色に染まる蓮の花を写真に収めるのに一生懸命の私でございました。



栗林公園・蓮9.jpg



栗林公園・蓮8.jpg



栗林公園・蓮.jpg



その玉のようなピンク色した花は、ゆらゆらうてなを動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、なんとも言えないいい匂が、たえまなくあたりへあふれております。

栗林公園はちょうど辰の刻なのでございました。






虐殺20年、真の終止符いつーボスニア・スレブレニツァ、犠牲7000人超。(朝日新聞)

1992~95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期に同国東部スレブレニツァで起きた虐殺事件から、11日で20年になる。
いまだ遺体が発見されない犠牲者もおり、紛争の傷は癒えない。
短期間に7千人以上のボシュニャク系住民がセルビア人勢力に殺された事件をめぐり、加害側が虐殺の事実を認めた後も論争が続いている。


<遺体捜索、ますます困難に>

セルビア国境に近い山あいの町スレブレニツァから北に約5キロ。
白い墓標が並ぶポトチャリ記念墓地で、ハリア・チャティッチさん(70)は、52歳で虐殺の犠牲になった夫ユヌスさんの墓の脇に立ち、1人分空いた隣の地面を指した。

「できるだけ早く、ここに息子を埋めてあげたい。」

当時26歳だった長男のニハドさんの遺体はまだ見つからない。
セルビア人勢力がスレブレニツァに突入したのは95年7月11日。
ニハドさんは最後まで郵便局にこもってサラエボのラジオ局を通じ外部に無線で戦況を伝える仕事をしていたが、家にかけ戻り、ハリアさんとユヌスさんに逃げるように言って姿を消した。

セルビア人勢力は、かつてモスレム人と呼ばれたボシュニャク系住民から男性だけを引き離し、山中で次々銃殺した。
ハリアさんは夫婦で国連平和維持部隊の基地があったポトチャリに逃げたが、ユヌスさんはそこで連行された。

虐殺の犠牲者の遺体はまとめて地中に埋められたあと、発覚を防ぐためさらに分散して埋め直された。
2000年代半ばからDNA鑑定で身元確認が進み、これまでに6241人が記念墓地に埋葬された。
ユヌスさんの遺体は国境近くの集団遺棄現場で見つかり、05年に埋葬された。

ニハドさんの手がかりは今もない。
発見された遺体の身元確認方法は確立される一方、肝心の遺体の捜索はますます困難になっている。
数十~数百人の集団遺棄現場の捜索が一段落し、小規模な遺棄現場ばかりが残されたからだ。

山を通って脱出を図ったニハドさんが最後に目撃された場所は最近まで地雷が除去されず、本格的な捜索ができていない。

ハリアさんは事件後、約90キロ離れたツズラで暮らし、01年に町に戻った。
夫が連れ去られた現場で男性住民をより分けていた地元警察官に対する裁判が行われ、目撃者として証言した。
しかし被告は間もなく逃亡し、裁判は中断した。

紛争前のスレブレニツァの人口は3万7千人。
7割を占めたボシュニャク系住民が町を去り、今は7千~9千人と推定される。
避難民の帰還は99年から始まったが、町の経済は立ち直らず雇用に乏しいため、定住できたのは高齢者だけだ。

紛争後、国はボシュニャク系とクロアチア系が中心の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」と、セルビア系主体の「セルビア人共和国」という二つの構成体に分かれた。
スレブレニツァはセルビア人共和国の管轄下。
歴代、ボシュニャク系が市長を務めるスレブレニツァ市当局と、開発の許認可を持つ共和国政府との関係は微妙で、それが復興を妨げている。

ハリアさんはもともとセルビア系住民の友人が多い。「町の先行きが見えず、苦しんでいるのはセルビア系住民も同じだ」と話した。


<被害と加害めぐり続く論争>

今年4月半ば、セルビア人共和国のドディック大統領が突然スレブレニツァを訪れて記念碑に花を手向け、「大きな犯罪が行われたのは事実。すべての犠牲者に哀悼を捧げる、」と語った。

ドディック氏は強硬派のセルビア系政治家。
スレブレニツァの虐殺について、国連の旧ユーゴスラビア国際刑事法廷は特定民族の抹殺を図った「ジェノサイド(集団殺害)」だと認定したが、その見方をかたくなに拒否してきた。
そのドディック氏の訪問を、ドゥラコビッチ市長は「歴史的だ」とたたえた。

だが、期待は裏切られた。
20周年が近づくと、ドディック氏は「ボシュニャク系の被害者はもっと少ない。スレブレニツァ周辺ではセルビア系住民もボシュニャク人勢力に殺された、」と再び声高に持論を訴え始めたからだ。

セルビア人共和国の強硬派も、国際法廷で「事件を防げなかった」とされた隣国のセルビア政府も、虐殺の事実は認めている。
セルビア議会は10年、自国の責任を認める決議を可決した。

ただ、セルビア政府は「全セルビア人に罪を負わせることになる」として、ジェノサイドと規定することを拒否。
世論には「紛争全般を通じ、セルビア系住民の被害が過小評価されている」という思いも強い。

6月、スイスで虐殺をめぐるシンポジウムに参加したスレブレニツァ市代表団の元ボシュニャク系勢力司令官がセルビア検察の逮捕状にもとづいて拘束される事件が起きた。
市のハジッチ司法問題参与は「記念日の前には必ず政治的なゲームが行われる、」と嘆く。

ボスニア・ヘルツェゴビナ下院に5月、紛争中の「すべての側へのすべての犯罪行為」を非難する決議案が提出された。
だが、スレブレニツァの事件をジェノサイドだとしており、セルビア人共和国の議員らが欠席して否決された。

ボシュニャク系のミルサド・メシッチ議員は「スレブレニツァの虐殺がジェノサイドだったことは、戦争の真相にかかわる問題」という。
ただ「決議案を出したのは和解のためだ。可決されれば、戦争に終止符が打てたのに」と悔やんだ。



(喜田尚)

ギリシャのデフォルト危機 先行きと解決の道は?(BizCOLLEGE)

7月1日の午前0時(ブリュッセル時間)、欧州連合(EU)などによるギリシャへの金融支援が失効しました。
同時にギリシャは国際通貨基金(IMF)への融資返済期限を迎えましたが、結局返済は行われませんでした。
現状は返済は「延滞」ということになっており、債務不履行(デフォルト)には至っていませんが、先行きはいまのところ不透明で、デフォルトの可能性も低くはありません。  

直近の最大のポイントは、7月5日の国民投票です。
ここでは、EUや欧州中央銀行(ECB)などが提示した緊縮策をギリシャ国民が受け入れるかどうかが問われます。
もし、ここで賛成票が多ければ、ECBを中心として緊急融資などが行われ、ギリシャの問題はひとまずしばらくは落ち着くのではないかと思います。  
しかし、国民が緊縮策に反対するようなことがあれば、デフォルトが現実味を帯びてきます。
その結果、ギリシャがユーロ圏から離脱するということにでもなれば、ギリシャ経済は崩壊の危機を迎えます。
そうなれば南欧をはじめとする周辺国に及ぶ影響も出てくるでしょう。
また、問題が長期化する可能性もあります。
今回は、ギリシャ危機について私の意見を述べます。

ギリシャのデフォルト危機は、今回が初めてではありません。
そもそも、なぜ、このような問題が起こっているのかを振り返ってみましょう。

ギリシャ危機の発端は、2009年10月の政権交代でした。
新しい政権が旧政権(新民主主義党)による国家ぐるみの粉飾決算を暴露したのです。


<ユーロ統合で行われた偽りの深刻>

ギリシャは2001年にEUに加盟する際、財政赤字額を偽って申告していました。
欧州連合(EU)に加盟するためには、国の債務残高を名目国内総生産(GDP)比60%以内、さらに各年の財政赤字もGDP比3%以内に抑えなければならないというルールがあります。

ところが、ギリシャは実際のところ、債務残高が110%以上もあった上、財政赤字も10%を超える水準まで膨らんでいたのです。
それを粉飾して申告していたのです。

当時は、EU加盟の条件は、かなり厳格に守られていました。
通貨がユーロに統合されますと、景気変動に対してそれぞれの国が金利を上下させる金融政策をとることができなくなります。
そうすると、景気が悪化した場合は、財政赤字を拡大して財政出動することになり、財政規律がなくなる恐れがあるのです。

そのような事態に陥ることを防ぐために、EUに加盟して通貨ユーロに統合される場合は、「国の債務残高はGDP比60%以内、毎年の財政赤字はGDP比3%以内」というルールを課していたのです。
アテネオリンピックも2004年に控えていたギリシャは2001年に、これらの条件をクリアしたと見せかけて通貨ユーロに統合されたわけですが、それは偽りの申告によるものだったわけです。

しかも、その事実が露呈したタイミングも最悪でした。
2009年という、2008年9月のリーマン・ショック直後に起こった世界同時不況の最中だったのです。
そこでデフォルトの危機に陥りました。

結局、ギリシャは事実上のデフォルトとなり、「国債の50%を棒引きする」という措置がとられました。
さらにその後、この金融不安が周辺国のスペインやイタリアに飛び火しましたが、欧州中央銀行(ECB)がスペイン国債を無制限で買い入れることで、危機は一旦、小康状態となりました。


<「耐乏生活」で苦しむ国民が反緊縮派を選ぶ>

ギリシャは事実上のデフォルトの後、EUとの約束によって緊縮財政を行いました。
緊縮財政とは、財政の均衡を取り戻すため、できる限り歳出を減らす政策です。
同国では、年金や公務員の給与の削減、増税、公共サービスの削減などが行われました。

もちろん、それは国民にとっては非常に苦しい生活になりますし、景気も冷え込みます。
まさに多くの国民が「耐乏生活」を強いられているような状況が続いていたのです。

そうした状況が続く中、緊縮財政に不満を持つ人が増加したギリシャでは、2014年の総選挙で反緊縮派のチプラス氏を選びました。
もう苦しい生活はイヤだという民意が反映されたのです。

ただ、この過程でギリシャ経済が改善されたかというと、そういうわけではありませんでした。
元々、経済の弱い国ですし、経常黒字を稼いでいるわけではありません。
結局、反緊縮派の勝利によって、ギリシャ危機がじわじわと再燃し始めていたのです。

それでも何とか、国際通貨基金(IMF)などの支援を受けながらも国債の償還を続け、公務員の給料や年金の支払いを行ってきましたが、緊縮財政を行わないギリシャ政府に貸付け側が業を煮やし始め、融資が実行されなくなりました。

そして、ついに破綻直前までいってしまったのです。
そして、先にも述べたように、6月末にはIMFへの返済15億ユーロ(約2000億円)の期限を迎え、「延滞」となりました。
今のところ、まだデフォルト宣言はされていません。


<7月5日の国民投票が焦点に>

EUとしては、7月5日の国民投票などを経て、財政健全化へのプランが示されれば、融資の続行も考えるでしょう。
しかし、チプラス政権としては複雑なところがあります。
チプラス政権は反緊縮派ですから、簡単にEUの言い分を飲むことはできないのです。
緊縮を飲まなければならなくなれば政権の存在意義がなくなるからです。
そして、国民投票の結果が「賛成」となれば、チプラス首相は辞任すると表明しています。

チプラス政権は自身の政権維持のためにも「反対」を国民に呼びかけています。
反対が多数派となれば、それをもとに、EUとの交渉の後ろ盾にしようとの思惑もあります。
しかし、EU側はそのプレッシャーには屈さないと思われます。
チプラス政権はとても難しく、危ない道を歩んでいるように私には思えます。
自身の政権維持のために、ギリシャを大変危ない状況に追い込んでいるからです。

今後、もし国民投票で緊縮財政が否決され、ECBなどとの交渉が決裂し続ければ、ギリシャが通貨ユーロから離脱することになると考えられます。
ECBからの融資を受けられない状態となると、自国通貨を使わざるを得なくなる可能性が高まるからです。
これは、欧州にとってもギリシャにとっても、経済に大きな影響が出る恐れがあります。

ギリシャがユーロから離脱しますと、当然、ギリシャ国債はデフォルトになります。
ユーロの調達ができませんからね。
すると、ギリシャ国債を保有している周辺国の金融機関、中央銀行が傷つきます。
ただし、周辺国の金融機関や金融システムがおかしくなる場合には、ECBが資金的に支えることとなります。


<ユーロ離脱はギリシャにとっては自殺行為>

問題はギリシャ国内です。
ギリシャ国内ではこれまでユーロが使われていますから、家計の自動車や住宅のローン、企業の借り入れなどは全部ユーロ建てで行われています。
もし、ここで元の通貨であるドラクマに戻ってしまったら、どうなるでしょうか。

ギリシャがデフォルトになった状態では、ドラクマは価値を下落させていくことは必至です。
この先もどんどん下落していくドラクマによって、強い通貨ユーロで借りたローンを弱い通貨で返済していかなければならないわけです。
現実的に考えて、返せません。

そうすると、家計や企業の破綻も相次ぐことになるでしょう。
彼らに融資をしているのは、ギリシャの銀行ですから、こちらも破綻していきます。
さらに、ギリシャの金融機関にお金を貸している周辺国の銀行にとっても、悪影響は避けられません。

もちろん、先にも述べたように、ECBは万全の態勢で支えるでしょうが、一部の金融機関は無傷でいられるかどうかの保証はありません。
さらに、ギリシャがデフォルトしてギリシャ経済が悪化すると、欧州経済にも短期的には影響が出ます。
場合によっては短期的な経済の混乱も考えらえます。
そうした状況では、通貨ユーロや欧州株が一時的に売られることも考えられます。

ユーロから離脱した場合のギリシャ国内のインパクトは重大です。
そして、それがどれくらい続くのかは、はっきり言って読み切れない部分があります。
しかし、それが大きな影響が出ることは避けられません。
もしもこのような状況に陥ったら、反緊縮どころの騒ぎではなくなるでしょう。

当然、税収も激減しますから、財政自体も脆弱になり、破綻を繰り返してしまうことも考えられます。

昨年の総選挙で反緊縮派が勝利したとき、ギリシャ国民は自国が置かれている状況や先行きをそこまで深刻に考えていなかったのではないかと思います。
反緊縮を少し緩めることによって、消費が増えるから景気も回復するという程度の「甘い」見通ししか持っていなかったのではないでしょうか。


<ロシアや中国はギリシャ支援に回れるのか?>

その一方で最近、ロシアがギリシャに急接近しています。
ウクライナ問題同様、ロシアはギリシャがEUから離脱して、欧米からの影響力をそぐことができれば、基地建設などをはじめ軍事的な影響力を行使することが可能になるからです。

ただし、ロシアがどこまでギリシャを支えられるのかという問題もあります。
ロシアも今、景気が好調とは言えない状況です。
世界的に原油価格が下がったことで、ロシア経済を支えている原油の輸出額が減少しているからです。
財政はそれほど豊かではないでしょう。

一方、北大西洋条約機構(NATO)の一員であるギリシャがあまりロシア寄りとなるのはEUや米国にとってはもちろん好ましいことではありません。
チプラス首相はEUとの交渉を有利に進めるためにこのようなところも見越しているのだと思います。

5月、6月と立て続けにギリシャのチプラス首相はロシアに出向き、プーチン大統領と面会しています。
これはもちろん、ロシアに支援を要請したと思われますが、むしろ、ギリシャはロシアとの関係を強調することで、EU離脱をにおわせて、経済支援を継続させるためのパフォーマンスを行っていたとも考えられます。

ただ、結果的にこのパフォーマンスは奏功せず、ギリシャが6月30日という期限ギリギリに要請した新たな支援をEUは拒否しました。

それならば中国が経済的に支援するということも考えられなくはありません。
中国が推進するアジアインフラ投資銀行(AIIB)のインフラ開発においては、ギリシャも含まれているからです。
ただし、AIIBは欧州諸国との協調が不可欠のため、うかつにギリシャへの経済支援を掲げることはできないでしょう。


<ユーロ圏が抱える根本的な問題が露呈>

今後のポイントは、7月5日の国民投票です。
ここでは、EUが提示した財政改革案を受け入れるかどうかが問われます。
もし、ここでギリシャ国民が賛成票に投じれば、しばらくは融資が続き、ギリシャの問題はひとまず落ち着くと考えられます。
ギリシャがIMF向けの返済原資を手当てするには、ギリシャがこの改革案を受け入れ、EUから金融支援を受けるしか方法がないのです。
そうなれば当面のデフォルトも回避できるでしょう。

私は、このシナリオに落ち着く可能性が高いとは思いますし、そうなることを期待しています。
しかし、チプラス首相は、自身の政権維持のために、国民を巻き込んでとても危ない賭けに出ています。

もちろん、国民が反対票に投じる可能性もあります。
チプラス政権はそれを煽っています。
そうなれば、これはデフォルトということにならざるを得ませんし、EUのサポートがなくなるということは、高い確率でユーロ圏から離脱するでしょう。
そうなれば、先ほどもお話ししましたように、それはギリシャの自殺行為です。

もし、ギリシャがデフォルトしても、すぐには以前に財政危機が生じたスペインやイタリアにも飛び火する可能性は今のところは小さいでしょう。
周辺国の金融機関に対しては、資金供給によりECBが全力でサポートするでしょう。
その点を考えると、当面はダメージは最小限に抑えられるかもしれません。

しかし、ギリシャがデフォルトを起こし、じわりじわりと欧州経済に影響を与えたり、思わぬ展開が起こる場合には、周辺国へも飛び火しないとも限りません。
今回起こったようなギリシャ危機のような問題は、根本的には、南北の生産性の格差がある限り、解決することはありません。

極端なことを言えば、EU圏が一つの国と同等のつながりを持たない限り、解決は難しいのではないかと思います。
以前は通貨がバラバラでしたから、経常赤字国は為替レートが下落することで輸出が伸びるなどしてバランスを取る、いわゆる為替変動による「自動安定化装置」が機能していました。
しかし、統一通貨のもとでは、その自動安定化装置は働きませんから、各国の財政や銀行に対する監督を強化するか、あるいは統合を止めるかという選択肢しかありません。


<ギリシャ問題はこれからも注意が必要>

EUは、銀行の監督権限を強化し、資金的にもサポートする仕組みを持つことで、一部の国でデフォルトが起こっても、ある程度乗り切れるように耐性がついてきています。
しかし、財政の統一化(各国の財政はEUの承認を必要とするということ)は、各国の思惑が異なっているため、なかなか進められていません。

元々、EUは根本的には二度と戦争を起こさないようにという目的で作られたものでした。
しかし、今、EUの政権をとっている人たちの世代は、第二次世界大戦を知らない人たちですから、「戦争を避ける」という意味での経済統合に対して、関心が薄く、自国の事情を優先しがちです。

そういった点からも、ギリシャがEUに留まるのか否かの判断は興味深いところです。
同時に、今回の問題は、通貨統合自体がこの先も何度も来るであろう同様の問題を乗り切れるのかどうかという一つの判断材料になると思います。

いずれにしても、ギリシャ問題には短期的にも中長期的にも引き続き注意が必要です。




(名古屋大学客員教授・小宮一慶)

氷水をキュッと一口。

その昔、7歳の空海(弘法大師)が山頂で大請願を立て、断崖絶壁から身を投げたという我拝師山へ歩いて登った。

今日は母の通院日で、病院の送迎の待ち時間にちょっと・・・と思い立ったのだが、今でも何故そう思ったのか謎である。(笑)


我拝師山.jpg


この山、決して高くはないのだが超急勾配で知られており、途中何度も引き返そうかと迷った。

どうしてこんな急な山、登ろうと思ったのか。
だが、一度諦めたらもう永遠に登らないだろう。

我拝師山7.jpg


それにしても、キツイ。

讃岐には石段で有名な金毘羅さんがあるけれど、この山を休まず登れる人はきっと金毘羅さんくらいスキップであがれるに違いない。
大袈裟ではなく、それくらい苦しい道のりだった。


けれど、その都度親切な方々に声を掛けてもらい、もう無理と座りこめば上方から聞こえるお寺の鐘の音に励まされ、なんとか四国霊場第73番出釈迦寺・奥の院まで辿りつけた。


出釈迦寺・奥の院2.jpg


「よう登れましたね。」
優しい声に振り向くと、道中出会った年配のご夫婦の笑顔がそこにあった。

「あれ? さっき山を降りてましたよね。」
「ああ、私たちは毎日ここを二往復しているの。」
お二人は定年後、雨の日以外は欠かさずこの山を奥の院まで登っているらしい。

ふと気づくと、100回以上お詣りした方は境内に名前が張り出されている。

「ここに名前があるんですか?」
「ええ、まだ下の方ですがね。」


その時、今度は二人連れの男性が登ってきた。

「今日は来ないのかと思ったわ。」 先ほどの奥さんが声を掛ける。
「いやあ、今日はなでしこ見てたからねー。なでしこ、勝ったよ!」
「それで遅かったのねー。なでしこ、良かったねー。」
話が弾む。

どうやら、毎日登ってる人は何人もいるらしい。

「一日に二度三度登る人、結構いるのよ。」

そのおかげで参拝仲間が自然とできるのだろう。
この険しい道のりが、自然と会話を引き出してくれる。


「一口飲むと楽になりますよ。」 奥さんが凍ったペットボトルの水を手渡してくれた。

「わあ、嬉しい! お言葉に甘えます。」 
ちょっと・・・で登った私は、水も帽子もなんにも用意していなかったから、その心配りに感動してキュッと一口流し込んだ。


「またの時まで顔を覚えていてくださいね。」
二人が降りて行った後、私は幼い空海が飛び降りたと云われる場所はどこか探すことにした。

我拝師山6.jpg


出釈迦寺・奥の院3.jpg


だが、そこから先は断崖絶壁。
鎖を伝って岩肌を登らなければならない。

「一緒に登りましょうよ。」

75歳くらいだろうか、一人のおばあさんに誘われたが、背後に聳える山頂への岩壁は体力の限界で断念することにした。

後で知ったが、そのおばあさん、この奥の院を1万5千回以上参っているらしい。
 
ああ、おばあさんを拝んでおくんだった。(笑)




帰りは楽ちんと言われた坂を、今度は膝が笑うのを必死に堪えて麓まで降りてきた頃、母から迎えの電話が鳴った。


我拝師山5.jpg



私はその僅か2時間程度の出来事を、息もつかず母に話した。

「もうねえ、ホント大変だったんだから!」

「でね、帰りの坂を後ろ向きに歩くおじいさんを見かけて、なるほど、その方がきっと楽だと真似してみたら、三歩も行けば尻もちついてそのままゴロゴロ転げ落ちるのかと思ったわ。
あんな急な坂、上りも下りももう二度とごめんだわ。」

そうひとしきり喋った後、目の前にあった冷たい水をゴクゴク一気に飲み干した。


?!


「あれ? 痛くない。」


実は、5日ほど前から知覚過敏で、左上の歯に冷たいものが触ると泣きそうなくらい痛むのだった。
それでも冷たいものを飲みたい時は、ストローで喉の奥へ直接送りこむなど苦労していた。

それが、痛くない。 まったく沁みない。

そういえば、奥の院で冷たい氷水を貰った時から痛くない。

「しんどい思いしたけど、ご利益あったじゃない。」
母の言葉に妙に納得の私であった。(苦笑)






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