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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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スイス、バルカン諸国に資金援助へ。ー 難民危機(AFP通信)

スイス政府は30日、欧州連合(EU)諸国を目指す膨大な数の移民や難民がバルカン(Balkan)半島を通過している事態を受け、同半島の国々に資金援助する計画を明らかにした。

スイス外務省は、セルビアやマケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナで深刻化している難民危機への対応を支援するため、この3か国に資金援助を実施する計画があるとした、日曜紙NZZアム・ゾンターク(NZZ am Sonntag)の報道を事実と認めた。

この報道によると、スイス政府は10万スイス・フラン(約1300万円)以上の資金援助を実施する意向だという。
だが、外務省の報道官はAFPの取材に対し、援助額はまだ決まっていないと述べた。



■難民の自国受け入れには消極的──スイス世論調査

一方、スイスの週刊新聞シュバイツ・アム・ゾンターク(Schweiz am Sonntag)は、バーゼル大学(Basel University)が先月1000人以上を対象に実施した世論調査結果を掲載した。
これによると、回答者の60.9%が難民危機に対する人道的対応でスイスには先導的な役割を果たしてほしいとした一方で、83.1%もの人がスイスに受け入れる難民を増やすより難民危機に見舞われている国々に惜しみない援助を与える方が良いと回答した。

また回答者の3分の2が受け入れる難民が多すぎるとスイスの繁栄が損なわれると危惧しており、44.6%がスイス国境を一時的に閉鎖してほしいと答えた。

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ドイツ「難民申請80万人」:政府、昨年比4倍予測・ネオナチ反発、先鋭化。(毎日新聞)

中東・アフリカ地域を逃れ、ドイツで難民申請する人が急増している。
独政府は今年の難民申請者が昨年比4倍の80万人に達すると予測。
収容施設がある東部ザクセン州ハイデナウでは今月下旬、難民受け入れに反対する極右ネオナチらが警官隊と衝突した。
それでも欧州一の経済力を誇るドイツを目指す難民は増える一方で、ドイツでは国内の治安悪化や国民の負担増が懸念されている。

ハイデナウは反イスラム運動が激化したこともある東部ドレスデン近郊にある人口約1万6000人の町。
地元自治体は難民急増を受け今月21日にホームセンターだった建物に難民申請者を収容しようとしたが、ネオナチらの抗議デモが発生。
デモ参加者約600人が警官隊に投石などを繰り返し、警官側に31人の負傷者が出た。

26日にハイデナウの施設を訪問したメルケル独首相は、「他人の尊厳を疑問視する人間は断じて容赦しない」と外国人排斥思想を非難した。
24日に現地入りしていたガブリエル副首相もデモに参加したネオナチを「ならず者」と異例の強い言葉で批判した。

だがネオナチのデモは続き、一方で難民の受け入れを支援する人たちの反ネオナチ・デモも起きた。
小さな町は難民政策で二分されるドイツ世論を象徴する存在として注目されるようになり、メルケル氏は連邦警察の応援部隊を現地に派遣すると表明した。

独政府によると、ドイツを目指す難民の約70%がバルカン半島を陸路北上する「バルカンルート」を利用する。
ギリシャ国境からマケドニアに入る難民の多くは「豊かで仕事もあるドイツに行く」と話しているという。

ドイツは憲法で難民申請の権利が認められているなど手厚い保護政策で有名だが、内戦が続くシリアやイラクからの難民申請者は本人確認が難しい。
マケドニアやセルビアなどは難民認定の前提となる政治迫害がないとされ、認定の事務手続きが長期化する要因になっている。

連邦議会(国会)の与党キリスト教社会同盟のシュトラウビンガー議員は毎日新聞の取材に「今後は難民政策が課題だ」と述べ、審査の厳格化や申請対象外の国の追加、申請が却下された人の即時国外退去など、強硬な政策の実現を目指す方針を示した。
だが、与党内でも強硬策への懸念は強く、9月上旬に再開される議会では難民問題を巡る激しい議論が交わされそうだ。

メルケル氏は難民資格審査の効率化などを早急に行う方針だが、ドイツ単独での対応では難民の流入は止められないのも事実だ。
ドイツのガウク大統領は「欧州は今、困難な挑戦の時を迎えている」と述べ、欧州連合(EU)全体での包括的な対応が不可欠との認識を強調している。




(中西啓介)

奔流シリア難民、欧州への長い道のり。ーマケドニア(朝日新聞)

混乱する中東、北西アジアを逃れ、自力で欧州へと向かう人々の流れが止まらない。
欧州で難民としての認定を受けるため、トルコからギリシャに渡り、バルカン半島を北上する。
このルートで東欧ハンガリーに不法入国した人は、過去8ヶ月足らずで14万人を突破した。
大半が受け入れ態勢の整ったドイツや北欧へ向かったとみられる。
ギリシャからハンガリーまでの道のりを、7月末から8月上旬にかけ、カメラマンの矢木隆晴機動特派員と取材した。

ギリシャの首都アテネから北へ約550キロの国境の村イドメニ。
気温が40度まで上がった7月下旬の日曜、人口わずか約300人の小さな集落に、朝から路線バスや徒歩で200人前後の人が押し寄せていた。
アフガニスタンやイラク、パキスタンからの人もいたが、大半はシリアを逃れた人々だ。

1週間前に激戦地の北部アレッポを出たという8人の若いシリア人のグループがいた。
みな「ドイツに行く」と言う。

「ドイツは本当に難民に優しい国なんだ。」
ムハンマドと名乗る17歳の若者が言った。
アレッポに両親と2人の弟がいるという。
「ドイツで難民と認められたら6ヶ月で家族を呼び寄せられる。それが僕の役目。」

「ドイツの情報をどこで知ったの?」と聞くと、バックパックを背負った周りの仲間たちが「フェイスブック、フェイスブック!」と声をあげた。

2011年に始まった内戦でシリアを脱出する難民が今も後を絶たない。
さらに、早くに周辺国に逃れた人も避難先での滞在が長期化し、生活が苦しい。
母国への帰還は絶望的と考える人々にとって、支援態勢が整った欧州で難民と認定され、自分と家族の人生の再出発を図ることが数少ない希望の一つになっている。
紛争そのものを止めない限り、もはやこの奔流はとどめようがないように見える。

ほとんどの人が同じコースをたどる。
トルコ西岸から密航業者に1人千ユーロ(約14万円)前後の金を渡してゴムボートにすし詰めにされ、数キロ先のギリシャの島へ。
そこからフェリーでアテネに向かい、ひたすら北上する。
マケドニア、セルビアを縦断してEU加盟国ハンガリーに入れば、その先は欧州で移動の自由を保障されるシェンゲン協定の域内だ。
目指すドイツや北欧まで、国境で検問を受けることなく移動できる。

だが、それまでの道のりが厳しい。

イドメニ村と国境を挟んで反対側のマケドニア南部ゲブゲリア市の鉄道駅で、同じ日の午後、数百人が駅前広場の木陰を分け合うようにして体を休めていた。
多くは、その朝ギリシャ側で見かけた人たちだった。
イドメニ村すぐ近くの国境でマケドニアの警察官数人とにらみ合っていた人々が、そのまま押し切って国境を越えてきたのだ。

やはりアレッポ出身で、洋服店主だったというハサ・イスマイルさん(36)は妊娠6ヶ月の妻(34)と5歳から12歳までの3人の子どもと、イスマイルさんの母、妹2人、弟(34)を連れていた。
3年前アレッポを逃れ、国境近くのトルコ側難民キャンプで1年、さらにトルコ南部の町でアパートを借りて2年暮らしたが、全く職につけず、ドイツ行きを決意したという。

シリアを逃れた難民はすでに400万人を超えている。
その誰もが欧州を目指せるわけではない。
少なくともギリシャへのボート代として密航業者が求める高額の支払いに応じる資金を用意できることが条件だ。
公務員、個人事業主など、内戦が始まるまではシリア国内でそれなりの生活基盤を持っていた人が多い。

とはいえ、金持ちが多い、というわけではない。
周辺国に避難した家族連れは、避難先で収入がない状態が続くと、目減りしていく蓄えを注いで状況の打開を図ろうとする。
イスマイルさん一家はトルコからギリシャの島に渡るゴムボートに乗るだけで密航業者に計1万ユーロ近く払った。
残る所持金は多くはない。

ドイツで難民認定を申請すると、住む施設と食事が保証され、月140ユーロの生活資金も支給される。
イスマイルさんとその家族は、ドイツに着いても同国政府の支援制度だけが頼りだという。

「戦争が始まる前と同じレベルの生活ができるなんて思っていない。でも、シリアやトルコでは絶望的な生活があるだけだ。欧州行きは、子供たちに未来を持たせるためなんだ」と話した。


  ■  ■


マケドニア南端のゲブゲリアから、人々は約170キロ北の対セルビア国境まで、列車を乗り継ぐか、首都スコピエで降りてタクシーで向かう。

ギリシャ、マケドニア、セルビアでは、いずれも現地警察から、本人が難民申請の意思を表明したことを証明する書類を受け取る。
この書類を持てばその国での申請手続きのため数日間の滞在が合法化され、バスや鉄道、タクシーも、不法入国者として摘発されるのを恐れず利用できるようになる。

とはいえ、人々が実際にこれらの国で難民申請の手続きをすることはほとんどない。
ギリシャは難民収容施設の劣悪さや難民認定率の低さが長く問題視されてきた。
マケドニアは難民を受け入れる施設がほぼ皆無。
セルビアでは政府が難民申請を認めるケースは過去数年でごくわずかしかない。
人々がこれらの国を素通りしていくのは、ここで難民として生活することが極めて難しいことを知っているからだ。

人々は難民申請のための書類をトランジット・ビザ(通過査証)代わりにして次の国境へ向かう。
ただ、警察が発行した書類で国境検問所を通過することは許されない。
国境手前でバスや電車を降り、森林や河原の警備の手薄な場所を探して道のない場所を歩いて行かなければならない。
時にその距離は数十キロに及ぶ。

夕方遅く、マケドニアからセルビアへの国境付近では高速道路の検問所すぐ手前のトラック休憩所に、人々を乗せたタクシーが次々到着していた。
先に着いた人々は後続の到着を待つ。
やがて後を追いかけてきた仲間らと数十人の集団になると、夕日を正面から受けながら次から次へと高速道路の土手を降り、固まって国境線につながる道のない森林へ消えていった。

シリア南部スワイダーから来たという高校体育教師(45)は「グループを作って移動しなければ危険だ」と言った。
地元に残した妻と娘2人を呼び寄せるため、ドイツを目指し16歳から21歳までの息子3人と一緒に3週間前に家を出たが、ギリシャからはシリア人や同じアラビア語を話すイラク人らと行動をともにしてきた。

大きなグループを作る理由の一つは情報だ。
グループの中に先に欧州入りした知り合いを持つ人がいれば、どこから国境を越えればいいか、警察の警備はどうか、到着後どうすればいいか、情報を共有できる。
また、スマートフォンや地元のSIM(シム)カードを持つ人がいれば、ソーシャル・ネットワークで行く先の状況の変化をチェックできる。

もう一つの理由は安全。
これからの生活のためある程度まとまった所持金を持ち、身を潜めて国境を越える彼らは、強盗など犯罪の対象になりやすい。
ハンガリー南部の難民支援団体は、7月下旬から8月上旬にかけて国境付近で現金強盗にあったとの報告を10件受け、被害者が強盗が使っていた車のナンバーを記録した被害総額4千ユーロの1件について警察に告発した。

私たちはマケドニア側からセルビアに入った直後、140キロ前後のスピードで車が通り過ぎる高速道を子供たちの手を引きながら歩いているシリア人家族に出会った。
強い日照りから逃れるすべもなく、みな消耗しきっている。
クルド人地区から来たという男性は「この国境付近で強盗が相次いでいると聞いた。
高速道路を歩くのが一番安全だ」と話した。


  ■  ■


ハンガリーとの国境まであと数キロのセルビア北部の町カニージャ。
人口9千人の町の中心部の小さな広場は連日、国境越えを待つ人々で埋め尽くされていた。
ラツコ・ロベルト市長(55)は炎天下でぐったり横たわる人々を見かね、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に資金援助を求めて子供や女性が休める部屋やシャワー設備のある小さなプレハブ小屋を建てた。

市長の心配は、町に到着した後しばらく滞留する人が出始めていることだ。
右派のオルバン政権が反移民姿勢を強める国境の向こうのハンガリーでは、警察が国境を越えてくる人々を厳しく取り締まる。
全長175キロの対セルビア国境に高さ4メートルのフェンスを建設するとして軍を動員して工事に着手した。

フェンスが完成すれば、次々押し寄せる人が行き場を失い、大混乱するのは確実だ。
ラツコ市長は「こんな小さな町には抱えられない問題だ」と頭を抱える。

ハンガリーはさらに、たとえ紛争地出身でもセルビアなど「安全な第三国」を通過してきた人からの難民申請は短期間で却下できるとする法改正を可決し、今月1日から発効させた。
コバチ政府報道官は「隣国に逃げた人を難民と呼ぶのは理解するが、そこから何ヶ国も経由して欧州に来るのは彼らが『よりよい生活』を求める不法移民だからだ」とさえ言い切る。

しかし、この見解に対し、UNHCRや人権団体は、トルコ、レバノンなど周辺国に過重な負担を押しつけ、欧州以外に受け入れ先が見つからない難民たちの現状を無視した論理だ、と激しく批判している。

UNHCRは、紛争を止めるか、各国で協調して受け入れ態勢を整えない限り、国境に壁を築こうと、警備を強化しようと人々の流れを押しとどめることはできないと主張する。

たしかに、次の国境へ、次の国境へ、と急ぐ人々の大集団を見ると、この流れを物理的にとどめることがもう不可能であることが実感できる。
ギリシャ・マケドニア国境では私たちが訪ねた後も押し寄せる人の数がさらに激増し、8月半ば、マケドニア・ゲブゲリア市の鉄道駅は列車を待つ人々で線路をふさがれるほど混雑した。
しかし、警官隊が人々の国境越えをせき止めようとすると、大混乱に。
催涙弾でけが人まで出し、結局そのまま国境越えを認めるしかなかった。
政府はゲブゲリア駅を出る列車を増発させた。

母国で生きる望みを絶たれた人は、生活を立て直すため決死の覚悟を固めている。
欧州行きは、彼らが自力で状況を打開できると考える唯一の手段なのだ。

だが、難民が審査によって難民の認定を受け、保護を得る権利は国際条約に定められている。
そのための手段が密航業者に命を託し、危険を冒して国境を越えていくことしかないのだとすれば何かがおかしい。
UNHCRのババル・バロ中欧代表報道官は「難民が認定を受けるために非正規な手段しかとれないのは、今の制度に欠陥があるから」と認める。

「ただ、昨年は毎日世界のどこかで計4万2千人の人が家を追われた。この状況で抑圧的な対応をしても、絶望的な気持ちの人々をより危険な手段に向かわせるだけ。それより各国が知恵を出し合い、解決策を模索すべきだ」と話した。




(喜田尚)

生き抜く「唯一の道」。ー中東難民、子供抱え(毎日新聞)

「シリアで暮らしたいが、国は内戦で完全に壊れてしまった。道はこれしかない。欧州を目指すんだ。」

ギリシャ国境沿いのマケドニア南部ゲブゲリア。
西欧諸国で難民申請するため、ギリシャ側から国境を渡ったシリア人のハマ・サラミアさん(25)は、汗だくの顔をぬぐおうともせずにまくし立てた。
子ども3人を連れたイラク人のオマール・イサムさん(39)も「死と隣り合わせで暮らすことはできない。
イラクにはもう戻らない」と語気を強めた。

マケドニアからセルビアを経て、欧州連合(EU)の玄関口にあたるハンガリーを目指す。
その後はオーストリアを抜けてドイツへ。
2人が描く今後の計画は全く同じだった。
中東や北アフリカから海路などでギリシャへ渡り、陸路でバルカン半島を北上するルートの利用は、この春先から急増した。

ゲブゲリアの人口は約1万5000人。
マケドニア警察が殺到する難民らに必死に対応していた国境はのどかな田園地帯だが、今はひっきりなしに警察車両が行き交い、緊張感が漂う。

市街地から国境まで歩いた30分ほどで、1000人以上の難民らとすれ違った。
両手に抱えきれないほどの荷物を持ち、子ども連れも多い。
現場の警官は「人が多すぎてさばけない」。
地元の会社員、ディミタル・クリステブスキさん(27)は「先週、普段は人影のない駅に数千人が殺到した。警察が対応しきれる数じゃない」と驚きを隠さない。

ギリシャ側から押し寄せる人波を前に、人口約210万人のマケドニア政府が「国家非常事態」を宣言したのは20日。
警察は当初、催涙ガスなども駆使して越境阻止を試みた。
だが、すぐに音を上げた。今は安全に自国を通過させることを優先しているようだ。

首都スコピエからゲブゲリアへ向かう列車に乗り合わせたピザ職人、オルチ・ヨーバノフさん(18)は「国民にさえ十分な仕事がないんだ。
貧しいこの国に他人の面倒を見る余裕なんてない」と言って、100デナール札(約230円)を3枚見せた。
7時間働いて得た日給だという。

吸い込まれるように豊かな西欧の国々を目指す人々の流れ。
シリア人のサラミアさんは「国が再建しない限り、欧州を目指す人々の流れは止まらない。
まだまだやってくる」と話す。
受け入れる側も「(難民問題は)欧州全体の災害だ」(オーストリアのクルツ外相)と危機感を募らせる。
シリア内戦などに解決の兆しが見えない中、現実は深刻さを増している。




(坂口裕彦)

難民:欧州へ、うねり止まらず・マケドニアで警官隊と衝突。(毎日新聞)

中東やアフリカから経済的により恵まれた西欧諸国での難民申請を目指す人々のうねりが止まらない。
バルカン半島のマケドニアでシリアなどからの難民や不法移民がギリシャ側からの越境を強行して警官隊と衝突し、負傷者が出た。
地中海でもリビアなどから欧州を目指す密航者が後を絶たず、「経由地」となっている国々の緊張感は高まるばかりだ。

難民らが人口約210万人のマケドニアを経由し、西欧諸国を目指す動きは今春から急増しており、マケドニア政府は20日、「国家非常事態」を宣言した。
軍や警察の機動隊を投入してギリシャ国境を事実上封鎖し、難民らを阻止する構えだった。
21日には殺到する人々に催涙弾を発射し、負傷者を出しながら鎮圧した。

しかし、22日に人々が殺到すると、子どもを連れた集団を小さなグループに分けて越境を許可。
そのすきにその他の人々が越境を図り、催涙弾を発射する警察ともみ合いになった。
現場は大混乱に陥り、少なくとも25人が負傷して近くのゲブゲリア駅に搬送された。

ロイター通信によると、23日は数百人が制止されることなく、ギリシャからマケドニアへの越境に成功している。
現時点では当局が混乱を回避するため、越境を容認しているとみられる。
だが、難民らが殺到して封鎖に踏み切れば、再び緊迫する可能性もある。

マケドニア入りした人々は、列車などでセルビア方面へと北上。大半は欧州連合(EU)の「玄関口」となるハンガリーを経て、ドイツなどを目指すとみられる。
ハンガリー政府はセルビアとの国境(約175キロ)に今月末をめどに越境防止フェンス(高さ4メートル)を完成させる予定だ。




(坂口裕彦)

北方領土問題は「千島20島」の帰属問題である 択捉・国後・歯舞・色丹だけの問題ではない。(東洋経済オンライン )

日本とロシアの間では、好ましくない事態が相次いでいる。
ウクライナ問題に起因するロシアと西側諸国との関係悪化だけでも大きな問題だが、8月22日にはメドヴェージェフ・ロシア首相が北方領土の択捉島を訪問したことで外交的な緊張が高まっている。
ただこうした問題を乗り越え、両国がすでに合意しているプーチン大統領の今年内の日本訪問が実現することを期待したい。

メドヴェージェフ首相の訪問を機に北方領土への関心が高まっているこの機に、北方領土問題とは何か、今後日本としてどのように交渉に臨むべきかをあらためて考えておこう。

簡単なおさらいから始める。

第二次世界大戦の終了後、ソ連(現在のロシア)が占領していた日本の領土である「千島列島」「樺太(サハリン)」および「歯舞・色丹」の帰属が問題となった。

これを解決する最初の機会は、日本と連合国(戦勝国)が1951年に締結したサンフランシスコ平和条約であった。
しかし、ソ連は連合国の一員として条約交渉には参加したものの、最終的には同条約に署名しなかった。

ソ連が署名しなかったことは条約の規定にも影響を及ぼし、「千島列島」や「南樺太」は日本が「放棄する」とだけ記載され、「歯舞・色丹」については何も言及されなかった。
もしソ連が署名するのであれば、もっとはっきりした規定となったはずで、たとえば日露戦争後に日本領となった「南樺太」については「ソ連に返還する」と明記されただろう。

その結果、両国間には、今に至るまで国境問題が残ることになった。

日本とソ連は1955年に交渉を開始。
翌年に交渉は妥結し、日ソ共同宣言という形に結実し、戦争状態は終了。
外交関係も回復したが、領土問題は解決しなかった。

その後、何回も交渉が行われ、日本とロシアは「歯舞」「色丹」と「国後」「択捉」の北方4島は平和条約において解決されるべき問題であることを双方で確認しあった(1991年4月の日ソ首脳会談)。

「南樺太」は日露戦争の結果、日本が獲得した領土なので、日本は領有権を主張しないことにしていた。
なお、北樺太は戦前すでにソ連領となっていたので初めから問題にならなかった。

一方、「歯舞・色丹」について、日本は、これらは北海道の一部であり、ロシアに対して占領を解いて日本に返還するよう求めた。
「2島返還」という場合の「2島」とは「歯舞・色丹」のことだ。

この主張に対してはロシア側も理解し、前述の交渉結果、「ロシアは歯舞および色丹を日本に引き渡すことに同意する。
ただし、これらの諸島は、両国間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」と両国の共同宣言に明記された。

しかし、両国間の交渉は完了していないので、これら2島も北方4島の一部として交渉対象になっている。

「国後」「択捉」については、日本とロシアがともに領有権を主張しており、これをどう解決するかが問題だが、実は、この問題を解決するだけでは交渉は完了しない。
「千島列島」を構成するその他18島(北千島)の領有権がどの国にあるかの確定がされているわけではないのだ。

ロシアは、これら18島も「国後」「択捉」も「第二次世界大戦の結果としてロシアの領土の一部となった」と主張している(日本外務省『われらの北方領土』2011年版)。
18島についてはロシア以外に権利を主張している国はないが、法的にはロシア領と確定しているのではない。
そのため、正式にロシア領とする決定が必要なのだ。
そしてロシアは日本に対して、それをロシア領と認めるよう要求している。

一方、日本は「千島列島」についての交渉の対象を「国後」「択捉」に絞っており、18島については権利を主張していない。

つまり、ロシアは20島について権利を主張しているのに対し、日本は2島だけを交渉の対象としているので、両国の主張は部分的にかみ合っていない。
ただそのズレが目立たないのは、18島については争いがないからだ。

しかし、この問題はいずれ出てくる。
「国後」「択捉」についての領有権問題について結論が出ると、ロシアは、18島に対して領有権があることを日本に認めるよう要求してくる。
日ソ交渉のなかで、ロシアはすでにそのことを要求していたのだが、議論されなかっただけなのだ。

なぜ、ロシアが日本にそのような要求をするかというと、それは18島に対する権利を持っているのは日本だとみなしているからだ。
ロシアは、20島すべてを「戦争の結果として取得した」と主張して、すでに権利はロシアに移ったような言い方をしているが、それは主張に過ぎず、法的な権利はないことを自覚しているからこそ日本にそれを認めよと要求しているのだ。

日本にはサンフランシスコ平和条約で「千島列島」を「放棄」したので18島に対するロシアの領有権を認めるような立場にないと誤解している人がいるが、実際はそうではない。
国際法的にどのように説明するかはともかく、ロシアは今でも18島の領有権は日本にある、あるいは残っているとみなしている。
かりに、日本が「放棄」したことを理由にロシアの要求について応じず、たとえば、「ロシアの千島列島に対する領有権主張について日本は関知しない」と言えば、それだけで交渉はまとまらなくなるだろう。

なお、日本政府は1955年の日ソ交渉において、「千島列島」を交渉対象に含めていた。
平和条約で「放棄」したからと言ってロシアとの交渉の対象外となるのではないと、当時の日本政府も考えていたのである。

では、今後、日本としてはどのように交渉に臨むべきか。

日ロ間の交渉対象は「北方4島」であることを双方が確認しており、日本は「歯舞」「色丹」とともに「国後」「択捉」の返還の実現を目指すのであるが、その際18島については、日本が失うことによりロシアが得た大きな利益であることに注意が必要だ。

千島列島の20島は日本が戦争の結果として獲得したのではなく、平和的な話し合い(1875年の樺太・千島交換条約)で日本領となった島々である。
サンフランシスコ平和条約で重視された「領土不拡大の原則」にかんがみれば、本来日本が「放棄」させられる理由のない領土であった。

もちろん今となっては、同条約で決まったことを蒸し返すべきでなく、日本は18島の要求を復活すべきでないのは当然だが、かと言って、ロシアが自動的に領有権を獲得することにはならない。

そしてロシア自身、そのことを自覚し、領有権を持つ日本にロシアの島として認めよと主張しているのだ。

ロシアに帰属すべき理由として、ロシアは「第二次大戦の結果として」つまり「戦争に勝ったから獲得した」と言っているのであり、その当否も問題になりうるが、ロシア以外はどの国も要求していないので、その当否を論じる実益はない。

ともかく、日本が18島を要求しないという大幅な譲歩をすでに行い、ロシアが大きな利益を獲得していることは明らかだ。

「千島列島」の「国後」「択捉」の返還要求は日本として目いっぱいの主張であり、交渉では妥協が必要だとする意見があるが、それははなはだしい誤解だ。
少なくともこの2島の返還要求は日本としてすでに大きな譲歩をした結果であることを忘れないで交渉に臨んでもらいたい。




(美根 慶樹)

夏の終わりに。

夏も終わりに近づいたので、潮風を感じながら2時間ばかりドライブした。

どこがいいかなーと思いついた鷲羽山。
瀬戸内海を挟んで岡山県は倉敷市児島にある景勝地だ。

中腹を瀬戸大橋が貫いており、展望台からは瀬戸内海や瀬戸大橋の全貌がよく見える。

たまには、いつもと反対側の瀬戸内の景色も悪くないだろう。



鷲羽山.jpg




瀬戸大橋が開通したのが昭和63年、私が高校一年の春だった。

この橋がない頃は、四国は本当に離れ小島だったと思う。

それまでに私が四国を出たのは僅か5回。
小中学校の修学旅行、そして家族旅行の奈良と神戸、日帰りでの鷲羽山だった。

家から汽車で1時間、高松港から今度は船に1時間乗って岡山の宇野港へと渡り、そこから電車に乗り換えて、あの頃は鷲羽山へ行くのでさえ結構大変だったと覚えている。


「橋が出来てしまってからじゃ、もう橋のない景色は見られないから。」
そう言って、中学時代の先生がまだ橋の架かっていない瀬戸内海の風景を何度も撮りに行っていたことも思い出した。




急にこんな昔を思い出したのは、もう一つの夏が終わったからかもしれない。



今年の甲子園は珍しく四国勢すべてが初戦敗退となった。

私が学生の頃は四国は本当に強かった。
四国四県すべてベスト8に残った年もあった。

「一度でいいから、ベスト4が全部四国勢ってのを見たいな、」と言ったら、「それじゃあ、あとは甲子園じゃなくて地元でどうぞって言われるよ、」って冗談めいて笑ったのに。

思えば、それだけ県代表というよりも四国代表って意識の方が強かったんだろう。

地方になるほどその意識はあると思う。


だから、昨日の決勝は仙台育英を応援していた。


来年こそは、初の優勝旗を東北勢に持って帰ってもらいたい。








一杯のお茶。

お盆の法要のために、静岡から銘茶を取り寄せてみた。

静岡マダム、ヴェルデさんに教えていただいた雅正庵のお茶。
お茶処・静岡は煎茶文化なんだそうだ。

そこで、院主さんに喜んでもらいたい私は、夏にぴったりの氷水出し緑茶を選んだのだった。


説明書きに忠実に、丁寧に丁寧にお茶を淹れた。
心を落ち着かせ、心を込めて、丁寧に淹れた。

まろやかな口あたりに、深い渋みときりっとした爽やかさ。


そしたら院主さん、「このお茶、おいしいなあ、」と読経の途中でお茶を一口ふくんだ時、不意にそう漏らした。
その後もお茶の話で会話が湧いた。


「わしらは、お茶一杯がすべてなんですわ。」


なんとなく、もてなしの心を学んだような、そんな時間をいただいた。


静岡茶.jpg



EUへ、安住探す新たな「道」。(朝日新聞)

欧州連合(EU)に加盟するハンガリーのセゲド市で1日朝、駅前に止まった警察のバスから約40人が降りてきた。
EU域外の隣国セルビアから徒歩で国境を越えてハンガリー当局に拘束され、臨時の「難民キャンプ」で一夜を明かした人たちだ。

気温40度近い炎天下。
人々は疲れ切った表情で、難民支援のボランティアから水や食べ物を受け取り、日陰で無言で食べ始めた。
子どもたちは両親に寄りかかるようにして、ぐったりと座り込んだ。

一行は全員、トルコから密航業者が用意したボートでギリシャに渡った。
バルカン半島のマケドニア、セルビアを時に歩き、時に電車、バスを乗り継ぎ、北へ北へと進み、トルコから約1800キロ離れたハンガリーにたどり着いた。

「難民キャンプ」から出されると、指定されたハンガリー国内の収容施設へ自ら出頭する決まりになっている。
ただ多くはその足で、難民認定が得やすいドイツなどを目指す。

「僕らは平和に暮らしたいだけ。」
マフムドと名乗る30歳の男性が言った。
30日前、内戦が続くシリアの首都ダマスカスに妻子4人を残し単身出国。
「ドイツで難民認定を受け、家族を呼び寄せる」と語った。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は今月7日、トルコなどから海を渡ってギリシャに今年入国した人が計12万4千人となったと発表した。
昨年の同時期と比べ、7.5倍に急増したという。
シリアなどの紛争地を逃れた人で、大半がバルカン半島を経由して北上したとみられる。

欧州に、新たな「難民の道」が生まれた。




(喜田尚)

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