I love Salzburg

旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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パディントンに夢中☆

四国に春一番が吹いたという今日、午後から髪を切って映画を観て来た。


「パディントン」

先日三越へ行ったらちょうどパディントンの展示をしてて、どうもそれに影響されたらしい。

それでも、こんなに好みの映画だったとは。


愉快で可愛くて、温かくて愛しくなる映画だった。

クスクス笑って、そしてパディントンをぎゅうって抱きしめたくなった。


暗黒の地ペルーからロンドンにやって来たパディントン。

暗黒、暗黒って何度も言ってたけど、ペルーってパディントンが誕生した1958年頃はまだそんなイメージだったのかな?(笑)
冒頭でイギリス人の探検家がペルーの森の奥に入って行くシーンなど、私の頭の中ではハイラム・ビンガムが山奥でマチュピチュを発見した場面と被ってしまった。


ロンドンに到着するなりハチャメチャなパディントンだったけど、もし私が初めてロンドンへ行けば、同じようにパニックになるんだろうな。

パディントンに会いに、冒険をしに、今すぐロンドンへ行きたくなる。

でもひとまずは明日の朝、食パンにマーマレードをたっぷりぬって食べようか。


02-13 映画「パディントン」



四国に春一番が吹いたという今日、雨のせいで気温のわりに寒かった午後だけど、パディントンのおかげで心はホカホカ暖まってる。



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FOUJITA。

仕事でとても疲れた先月末、家でゴロゴロするだけでは気分転換にならないと映画を観に出掛けた。

12月以降、私としてはよく映画を観に行く。
一度映画館で観てしまうと、そのサイクルはしばらく続いてしまうのだ。


その日選んだのは、気分で『FOUJITA』だった。


01-30 映画「FOUJITA」


画家・藤田嗣治の絵は、別に嫌いでもないが特に好きということもない。
しかし、どこか私の好きなモディリアニやローランサンにも通じるところがあって、彼の絵に出会うと立ち止まってしまう。

といっても、フジタの絵の本物を観たのは隣町にあるカフェが初めてで、美術館で観た記憶は殆どない。

そのカフェは、今は亡きオーナーさんが大のフランス好きで、年に何度も渡仏して集めた骨董品や絵画に囲まれた空間と、南仏から眺める地中海を模して瀬戸内海を一望できるテラスがある。

オーナーさんの好むシャネルの香水が微かに漂い、会話の邪魔にならない低い音で流れる古いフランス映画も憎い演出。
目の前の海は南仏をイメージしたものでも、オーナーさんの醸し出す雰囲気からか私にはどこかパリを感じられる場所だった。

それはレモンの木の鉢植えを横目に少し坂を上って行くのだが、その庭の一角にピンク色した小さな美術館があって、そこに20点ほどフジタやコクトーの絵が並んでいる。


この映画は、そのフジタの絵のような作品に仕上がっていた。

日本とフランスの合作というのも納得させる。

フジタのトレードマークであった「おかっぱ頭に眼鏡」姿のオダギリジョーもなかなか様になっていた。


絵描きの、しかも裏町が舞台であるから、そう気取ったパリの町を観ることもなく、

初めて私がパリを訪れた時の、まだ夜が明けきれてない早朝いきなり黒人女性に恐喝され、緑色のゴミ収集車が走るパリの記憶にぴったりだった。


久しぶりに思い出したパリが恋しくなって、前述のカフェに行こうかなと思うも、
オーナーさんが亡くなって以来、同じ家具や食器に囲まれても、景色は変わらず美しくても、不思議とパリの香りは消えてしまったように感じて。

それでも、ピンク色した小さな美術館だけは、フジタの絵の前でシャネルの香りをさせたオーナーさんに会えるようで、まだパリの空気が残っていると信じたい。

そういえば、オーナーさんはどこかフジタに似ていたような。


パリを愛し、パリに愛された人だけに共通する何かがそこにあるのだと、そう思った帰り道だった。



と書けば、しっかり映画を観たように聞こえるが、実際はよほど疲れていたのだろう。
日本でのシーンは殆どが夢の中、記憶にない。(笑)

富士を見に行く。

02-06 展覧会『北斎の富士』


母とモーニングに出掛けようと家を出て、「そういえば、広島の北斎展ってもうすぐ終わるんだったよね」との話から、急きょその足で広島まで車を走らせることとなった。


北斎といえば私が小学6年生の時、学研の「学習と科学」シリーズの付録にあったスタンプがその『神奈川沖浪裏』で、その年は多くの同級生の年賀状を北斎が飾ったのを覚えている。

遠い話ではあるが、当時私もそれに漏れず、北斎の描く大胆な絵の構図に魅了された。


今回の展覧会は、その『神奈川沖浪裏』をスタートに、北斎の描く富士の世界へと進んで行く。

02-06 2.北斎『神奈川沖浪裏』


それにしても、一口に富士山と言っても色んな表情を持っているのだと改めて感じた。


私が初めて富士山を見たのは23歳とデビューは遅く、それも熱海へ向かう何処かのサービスエリアから見上げた姿だった。
二度目は仙台へ向かう飛行機の中から。

その後何度か目にしたのはすべて新幹線の中からで、そういえばじっくり富士山を眺めたことなどあっただろうか。

それでも、その一つ一つが記憶に残っているというのは、さすが富士の御山ならではと思う。


この展覧会では、描かれた場所も具体的に示されており、遠く茨城や尾張、諏訪湖から望む富士の姿もある。

当たり前だが、そのどれもが富士山であるのに違いないが、私の中では静岡から見た富士山が最もしっくりくる。

一昨年だったか、朝の連ドラ「花子とアン」で、山梨と静岡、どちらの富士が表か裏かという話にそんなこと大したことじゃないのにと思っていたが、なるほど、なんとなくその気持ちも分かってきた。


そして、そこには富士山と共にある江戸時代の人々や生き物たちがイキイキと描かれていて、いつの間にか私は富士山よりもそちらに目がいくようになっていた。

旅人であったり船頭であったり、普段の生活を営む人々の姿が剽軽にあって、それらが絵に動きを与えていた。


富士の静と人々の動。

時に主役に、時に脇役に、どっしりと存在感を示したり消してみたり。


どちらにしろ、黙ってそこにあり続ける富士の山。


そういえば、大学入試の時だったかな。
二次試験の会場で親しくなった、静岡は三島出身の女の子が言っていた。

「富士山のない景色の方が変な感じ。」

きっとそうなんだろうな。
江戸の人々も動物たちも、いつも富士山に見守られて生活してきたのだろう。
いつも見上げると富士山がそこにあったのだろう。

北斎の富士山への思いも伝わってくるようだ。


『冨嶽三十六景』は言うまでもなく、これまで観ることのなかった『富嶽百景』も飽きることなく興味深くて面白い。

何気に心惹かれた作品は、『田面の不二』。


02-06 3.北斎『田面の不二』


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