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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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父の仕事と裁判員。

時が経ったので、許される範囲のことを少しだけ書いておこうと思う。

去年の11月、最高裁より裁判員候補に選ばれたという通知が分厚い封筒に入って送られてきた。

裁判員かあ。
まさか自分が候補に選ばれることなどあるものかと、この制度が決まった当初はざわめく周囲とは裏腹に全く関心を持っていなかった。

だが裁判員制度が始まって8年、当時は無関心だった私も、3年前に父を亡くしたことでできることなら参加してみたいという気持ちに変わっていた。

父は長年裁判所に勤めてきた。
父のように黒い法服を着ることはないが、同じように法廷に立ち合う機会があれば、父が生涯をかけて貫いた仕事を何らかの形で感じ取ることができるのではないか、今も本棚にずらっと並ぶ法律関係の書籍を眺めながらそんな風に思ったのだった。


そして、私は裁判に参加する機会を得た。
今回の起訴内容は強盗致傷。
最高無期懲役が科せられる罪ゆえに裁判員裁判が執り行われるという。

裁判所側は、裁判官3名、裁判員6名、補充裁判員2名の計11名。
裁判員が一人でも欠ければその裁判は成立しないことから、補充裁判員も裁判員と同じように最初から最後まで裁判に立ち合うことになる。
ただし、裁判員は法廷で質問することができるが補充裁判員は許されず、また審理後の評議(裁判官と裁判員が話し合って有罪か無罪か、有罪の場合はどのような刑に処するのかを決める)の場において多数決を行う際の投票権は補充裁判員にはない。

テレビで裁判の場面を目にしたことはあるが、当然ながら父は一切の仕事を家に持ち込まなかったため、法廷に入るまでは実際の裁判とはどんなイメージでどういう流れになるのかわからなかった。

裁判員は裁判官と一緒に法壇後ろの扉から入場する。
座る場所も裁判官と同じ法壇上。
私の席は裁判官の真横、中央に近い法廷を見渡すのにちょうどいい場所だった。

初めて法廷に入る時は緊張も高まり、心臓のドキドキ音が耳に届くほどであったが、いざ入場すると冷静に周りを見、話を聞く自然体の自分がフシギだった。

また、法廷前に起訴内容を見せてもらい、裁判長が今回の争点はここだよと具体的に言ってくれていたおかげでスムースに話に入っていけたように思う。

冒頭手続きから判決までの6日間、かなり真面目に頭を使い、私なりに真剣に考え、時に悩んだりもした。
同じ法廷に参加をし、同じ資料を読みながらも11名それぞれ考えは異なる。
その異なった考えを十分な話合いから一つの答えへと導いていく。
自分の考えに迷いが生じても、裁判官の皆さんがその悩みを受け入れ、認めてくれる。
裁判員にならなければ関わることのなかった人たちだが、裁判長が仰っていた通り、私たちは11名で一つのチームになっていた。

疑わしきは裁かない姿勢はなにも裁判所側だけでなく、丁寧に話を引き出し物事を見極めようとする検察側の態度にも好感が持てた。
いい経験になったし、司法に対する信頼も深まったように思う。

また、裁判長のイメージも変わった。
これまでは閻魔大王という印象だったが、今はまるでお釈迦様みたいだと思う。
閻魔大王は検察側か?笑


そして、ああ、これが父の生前であればなあと、勉強になった分余計にそう思った。
父ならばどんな捉え方をしただろう。
父ならばどんな言葉を被告にかけたことだろう。

私は幼い頃から厳格な父が苦手で、だから法曹界はまったくもって興味がなかった。
自分から一番遠い仕事だと思っていた。
しかし、今は思う。
もしも学生時代に、せめて20代でこういう経験ができていたなら、私も法曹界の門を叩きたかったなと。
素直になれなかった自分を悔いた。
その後悔さえもいい経験になったと感謝している。


裁判員裁判の一切が終わった後、裁判員バッチをもらった。
今も父の仏前に供えてある。

裁判員裁判



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picchukoに老眼疑惑。

京都国立近代美術館を後にした私は京都最古の禅寺・建仁寺に赴いた。
洛バス100号に乗れば、近代美術館から建仁寺の最寄りとなる清水道まで乗り換えなしで行くことができる。

そのお目当ては俵屋宗達の「風神雷神図屏風」(原本は京都国立博物館へ寄託)ではなく、天井画の「双龍図」と海北友松の襖絵「雲龍図」。

この寺には龍や風神雷神図以外にも、禅宗の四大思想である地水火風を表すとされる「〇△□乃庭」に禅庭の「潮音庭」など見どころは沢山あるのだが、その日の私は龍に集中と決めてあった。

時間に余裕がなかったこともあるが、とにかく大迫力で龍が見たい!そんな気分だった。

であるから、寺に到着するや一直線で法堂(はっとう)へ向かう。
法堂の天井に双龍が描かれている。

6建仁寺・法堂「双龍図」
小泉淳作筆「双龍図」・縦 11.4m、横 15.7m(畳108枚分)

これは建仁寺開創800年を記念して、構想から2年の歳月を経て平成13年10月に完成し、平成14年に開眼法要が執り行われたもの。
建仁寺の歴史の中で、この法堂の天井に龍が描かれた記録はなく、創建以来初めての天井画となるらしい。

通常の雲龍図は大宇宙を表す円相の中に龍が一匹だけ描かれることが多いのだが、この双龍図は阿吽の龍が天井一杯に絡み合う躍動的な構図が用いられ、その二匹の龍が共に協力して仏法を守る姿なのだと説明書きにあった。

7建仁寺・法堂「双龍図」

頭上一杯の大迫力でしばし動けず。

5建仁寺・雲龍図(海北友松)

4建仁寺・雲龍図(海北友松)
海北友松筆

龍は仏法を守護する存在として、禅宗寺院の天井にしばしば描かれてきた。
また「水を司る神」ともいわれ、僧に仏法の雨を降らせると共に、建物の火災から護るという意味が込められているのだそうだ。

龍の大胆にうねる構図と大きく見開いた眼(まなこ)は描く者によってその表現は千差万別であるが、それぞれに趣きがあって出会うたびに胸に届くものがある。
海北友松の龍は特にしびれるものがあった。

海北友松(かいほう ゆうしょう)は安土桃山から江戸時代にかけての絵師であり、父は浅井家に仕える武将であったらしい。
若冲より100年以上昔に生きた人なのか。
ちょうど今年の4~5月に京都国立博物館で開館120年を記念して彼の特別展があったらしいが、その情報を知らなかった私は惜しくも見逃してしまった。
いや、海北友松という人物自体、恥ずかしながら知らなかった。
改めて、自分は日本画家の絵師に対して全く知識がないことを痛感する。


ここで、せっかく一人で京都のお寺に来ているのだからと写経に挑戦することにした。
般若心経は頭の「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」くらいしか知らないけれど、どうせ紙に書かれた文字を筆でたどるだけだから私にもできるだろう。
筆の代わりに筆ペンもお寺に用意されていることもあり、気軽に申し込みを行った。

16建仁寺・写経

書き始めて2~3行目だったと思う。
とにかく文字が薄い。
画数が多く少し崩された文字、ましてや常用漢字にないものはなかなかわかりづらかった。

顔を近づけたり遠ざけたり、どうにかしてその線を辿ろうと努力するものの薄くて見えない。
用紙を持ち上げて透かしてみるもはっきりとせず、自然と目を細めながら手を伸ばして見ようとする自分に気づきハッとした。

も、もしや、老眼?????
40代にもなるとそろそろと聞いてはいたが、とうとう私もその仲間入りなのか?

老眼とは老いる眼と書く。 そう、老いると書くのだ。

そうなると、もう心鎮まるはずがない、心穏やかなはずもない。

最初こそ一文字一文字丁寧に文字を追っていたが、見えにくい文字がどんどん現れてくるたびに心は乱れていく。
そして、いくつの文字を誤魔化しただろう。

こうして、自分としては生まれて初めての写経は45分かけて未完成のまま完成した。

あんなに満足した龍もそっちのけで、頭の中は老眼の二文字がぐるぐる巡る。
すぐさまスマホで「老眼」を検索する。
すると、どうも老いた眼の症状に私はまだ当てはまらないようだ。

単なる疲れ目か、眼鏡の度数が合わなくなったか。


しかし建仁寺以来、老眼疑惑が私に付きまとって離れないことをこの場で白状しておこう。

1建仁寺



京都国立近代美術館へ。

大阪へ行くのなら京都にも足を延ばそう。

毎年世界で一ヶ所しか開催されないフランスのハイジュエラー・ヴァンクリーフ&アーペルと、日本工芸とがコラボした展覧会が京都であると知り、そう決めた。

もともとジュエリーには全く興味のなかった私だが、7年前にモスクワのクレムリンで迷い込んだダイヤモンド庫との出会いが私を変えた。
「本物」と呼ばれるものの圧倒的存在感は、人をも狂わすに値するだけのことはある。


2ヴァンクリーフ&アーペルハイジュエリーと日本の工芸展

1200年以上昔から都として栄えた京都には、衣食住に関連する最高級なものが生み出されてきました。
十二単や小袖、辻が花、能衣装など金襴を惜しげなく使った装束は、現在の西陣のような織ものから染ものまで技術の粋が詰まった地域で、熟練した職人の技と心意気により作られました。

フランスを代表するハイジュエリーメゾンのヴァンクリーフ&アーペルも同様に、熟練した職人が一子相伝のように技を伝えています。

本店では「技を極める」をテーマに、ヴァンクリーフ&アーペルの秀逸な作品が伝える「技」と、長い歴史の中で生まれた七宝や陶芸、漆芸、金工などの日本工芸の「技」の対比や結びつきを紹介します。
フランスと日本の技の競演をお楽しみください。
(リーフレットより)



私が最も見たかったのが、「ミステリーセッティング」という宝飾技法だった。

それは偶然テレビで見て知ったのだが、宝石を支える爪を表から見せない特別な技法で、格子状に作られた石座へ一つずつ石を置いていき、隣接する石がぴったりと合うようにカットして、パビリオン上にレーザーで溝を彫り格子状の枠へはめていくというヴァンクリーフ&アーペル独自のものである。
特にルビーとの相性がよく、思わずため息が出てしまう。
釘付けになった目の中でもキラキラと煌めきを放っていたに違いない。

もちろん、カッティングの素晴らしさだけでなく宝石の大きさや光具合にも心を奪われた。
とりわけバードクリップにつけられた大きな一粒のイエローダイヤモンドからはしばらく目が離せないほどだった。
小さなペンダントに輝くそのダイヤの大きさは、なんと96.62カラット。
はああああ、といった感じである。

そして数多く見ているうちに、本物と呼ばれるものほど光の放ち方が上品で、色合いも控えめだという印象を持つようになった。
控えめというより奥行きのある煌めきといった方がより近い表現かもしれない。
だから余計に石の世界に引き込まれてしまうのだろう。

多くの宝石に吸い込まれ心惑わされそうになりながら、だが、ふと心癒されていく自分に気付く。
手が届かない宝石の中にあって、段々と心が開放されていく感覚はフシギだった。

「本物」なんだと思った。

その「本物」を作り上げていく過程を、展覧会では工程ごとに映像で見ることができる。
驚くべきことは、そのすべてが今も手作業であること。
これだけコンピュータが浸透している現在において、デザインもすべて人の手で描かれているのだ。
細かい作業を一つ一つ見つめていると、そのすべてが愛おしくなってくる。
心が開放される、心が癒される、その理由がその時ほんの少し理解できたような気がした。


と、ヴァンクリーフ&アーペルのことばかり書いてしまったが、日本工芸も負けてはいない。
私が好きな並河靖之氏の七宝焼に、信じられないほど細かく見事な孔雀図屏風など、技を極めるということにかけて決してヴァンクリーフ&アーペルに引けを取らない作品たちがずらっと並んでいる。
ただ、今回の私はヴァンクリーフ&アーペルの煌めきに夢中になってしまっただけ。
それは自分でも愉快なほどヒカリモノに魅かれていったのだった。




私は現実に戻るため、美術館のカフェで少し早めのランチをとる。
ぼおおっと冷めやらぬ余韻にテラス席で浸っていると、一匹のスズメが私のパンを盗んでいった。
ダイヤやエメラルドはやれないが、パンならどうぞといった感じ。笑

6京都国立近代美術館カフェにて


この展覧会は京都国立近代美術館にて8月6日まで。
一見の価値ありと自信をもって伝えられる。

ボリショイ・バレエ。

1ボリショイ・バレエ

先月18日、大阪のフェスティバルホールへ「ボリショイ・バレエ」を観に行ってきた。

世界にある名高いバレエ団の中で、私がどうしても憧れてやまない響きがこの「ボリショイ」。
たぶん、ロシアの持つミステリアスなイメージが私を惹きつけてやまないのだろう。

といっても、四国の片田舎で暮らす私がバレエと触れる機会はこれまでもほんの僅かで、趣味はバレエ鑑賞というにはおこがましい。
おこがましいのだけれども、有名なバレエ団は押さえているのよと密かに自慢できる自分になりたいと、このお上りさんは思うのである。


今回のボリショイ・バレエの大阪公演は2日間で、一日目が「ジゼル」、二日目が「白鳥の湖」という演目だった。
休みの都合で「白鳥の湖」を選んだのだが、どうやら「ジゼル」はボリショイの十八番とのことらしい。
ただ、「ジゼル」は過去にプラハ国立歌劇場で観劇したことがあり、「白鳥の湖」は二幕通して観たことがなかった私にはいい選択だったのではと思っている。

私がこの公演を知った時にはすでにチケットは完売にちかく、望む席はすべて空いていなかった。
迷った末に3階席最前列のほぼ中央を予約する。
だがそこは全体を見下ろすのにちょうどよく、とりわけ群舞の美しさは言葉にならないほどだった。

衣装の豪華さと舞いの優雅さと、それはまるで夢の中にいるようで、思わず「ブラボー」と叫んでしまって赤面する場面もあった。

出演者についていえば、昨年プリンシパルに昇格したばかりのオルガ・スミルノワがオデット(白鳥)とオディール(黒鳥)役を演じ、それがとても素晴らしかったので記憶に留めておこうと思う。
悪魔ロットバルト役のイーゴリ・ツヴィルコ、道化師役のアレクサンドル・スモリャニノフも頭の片隅に入れておこう。

そして、演出。
「白鳥の湖」といえば結末が悲喜様々あるのだが、このボリショイでは切ないフィナーレが選ばれていた。
てっきりオデットとジークフリート王子はどういう形であれ結ばれると思っていた私は、胸に穴があいたような寂しさが広がっていったのだった。
けれど、それがより儚い幻想的な世界を引き立てているようで、耳に残るチャイコフスキーの美しいメロディとともにじわり心の奥底に染み渡っていき、まさに「ブラボー!」と叫ぶしかなかったのである。

いつか、いつか、、、

いつか、本場モスクワのボリショイ劇場でロシアバレエの真髄に触れられる日が来ますように。

そんな淡い願いを抱きながら、フェスティバルホールを後にした。


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