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富士を見に行く。

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02-06 展覧会『北斎の富士』


母とモーニングに出掛けようと家を出て、「そういえば、広島の北斎展ってもうすぐ終わるんだったよね」との話から、急きょその足で広島まで車を走らせることとなった。


北斎といえば私が小学6年生の時、学研の「学習と科学」シリーズの付録にあったスタンプがその『神奈川沖浪裏』で、その年は多くの同級生の年賀状を北斎が飾ったのを覚えている。

遠い話ではあるが、当時私もそれに漏れず、北斎の描く大胆な絵の構図に魅了された。


今回の展覧会は、その『神奈川沖浪裏』をスタートに、北斎の描く富士の世界へと進んで行く。

02-06 2.北斎『神奈川沖浪裏』


それにしても、一口に富士山と言っても色んな表情を持っているのだと改めて感じた。


私が初めて富士山を見たのは23歳とデビューは遅く、それも熱海へ向かう何処かのサービスエリアから見上げた姿だった。
二度目は仙台へ向かう飛行機の中から。

その後何度か目にしたのはすべて新幹線の中からで、そういえばじっくり富士山を眺めたことなどあっただろうか。

それでも、その一つ一つが記憶に残っているというのは、さすが富士の御山ならではと思う。


この展覧会では、描かれた場所も具体的に示されており、遠く茨城や尾張、諏訪湖から望む富士の姿もある。

当たり前だが、そのどれもが富士山であるのに違いないが、私の中では静岡から見た富士山が最もしっくりくる。

一昨年だったか、朝の連ドラ「花子とアン」で、山梨と静岡、どちらの富士が表か裏かという話にそんなこと大したことじゃないのにと思っていたが、なるほど、なんとなくその気持ちも分かってきた。


そして、そこには富士山と共にある江戸時代の人々や生き物たちがイキイキと描かれていて、いつの間にか私は富士山よりもそちらに目がいくようになっていた。

旅人であったり船頭であったり、普段の生活を営む人々の姿が剽軽にあって、それらが絵に動きを与えていた。


富士の静と人々の動。

時に主役に、時に脇役に、どっしりと存在感を示したり消してみたり。


どちらにしろ、黙ってそこにあり続ける富士の山。


そういえば、大学入試の時だったかな。
二次試験の会場で親しくなった、静岡は三島出身の女の子が言っていた。

「富士山のない景色の方が変な感じ。」

きっとそうなんだろうな。
江戸の人々も動物たちも、いつも富士山に見守られて生活してきたのだろう。
いつも見上げると富士山がそこにあったのだろう。

北斎の富士山への思いも伝わってくるようだ。


『冨嶽三十六景』は言うまでもなく、これまで観ることのなかった『富嶽百景』も飽きることなく興味深くて面白い。

何気に心惹かれた作品は、『田面の不二』。


02-06 3.北斎『田面の不二』


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