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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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一人いにしえの旅。(4)

璉珹寺を出たのが16時少し前。
その日午前3時起床の私は、そのまま帰路に就くつもりだった。
それでも帰宅は午後8時を回るだろう。

阪奈道路を目指して奈良市内を走っていると、IC手前で看板に唐招提寺と薬師寺の文字が現れた。


ふとキトラ古墳で出会った女性との会話を思い出す。
「今日はこの後どちらへ?私一人暮らしだから、良かったら泊まっていってもいいのよ。」
「いえ、今日は日帰りの予定なんです。でも、キトラ以外の予定は全く立ててないです。」
「なら、石舞台からすぐのところにある談山神社はどう?中大兄皇子と鎌足が大化の改新の談合をしたところ。」
「そうですねぇ。」
これまでに二度そこを訪れている私はあまり乗り気じゃなかった。

「じゃあ、唐招提寺と薬師寺がいいんじゃない。」
どちらもすでに行ったことがある。
けれど、それは20年以上も前のことだ。
薬師寺は現在、『凍れる音楽』と謳われる東塔が修理中で観れないのが残念だけど、唐招提寺の落ち着いた雰囲気はいいかもしれない、そうちらっとその時思ったのだった。


時計は午後4時を過ぎたところ。
えいっと車を左折した。
そこから唐招提寺まではすぐだった。
大きな駐車場に車を停めて南大門をくぐると、大勢の観光客が引き上げた後のひっそりとした金堂が目に入って来た。

唐招提寺・金堂

唐招提寺


懐かしかった。
大学時代、一週間ほど滞在した奈良はレンタサイクルであちこち巡った。ここもそうだ。
この南大門の先に見える金堂の外観は有名すぎて、それでも昔から好きなお寺だったなと、しばらく立ち止まってその景色と向き合った。

唐招提寺・金堂2

そこに立つ盧舎那仏と薬師如来像、そして千手観音像の迫力は言葉にならないほどだった。
作は奈良時代。
改めてすごいなと感心した。

たぶん、22歳の私はそれらに圧倒されすぎて、それ以外は見ずに帰ってしまったか、それともそれ以外の記憶は全く飛んでしまったか。


私は受付でもらったリーフレットを見て、ぐるり境内を一巡することにした。
拝観時間は残り40分しかない。

唐招提寺・鼓楼

講堂と鼓楼を見て、礼堂・東宝の横を通って開山堂へ。

開山堂には鑑真和上の御身代わり像が祀られている。
有名な国宝の像は毎年6月5、6、7日の3日間のみ開扉され、それ以外は御身代わり像を参拝してもらおうとつくられたらしい。
それは本物を模造して、当初のお姿を再現しようとしたものだ。
しかし私は、その像に心を打たれることはなかった。

御身代わり像に手を合わす人たちをするりと抜け、私は鑑真和上御廟に向かうことにした。

唐招提寺・鑑真和上御廟

唐招提寺・鑑真和上御廟2

5人の団体にガイドさんが一人、先客がいた。
何食わぬ顔でガイドさんの話に耳を傾ける。

「当時、お坊さんの墓を建てることはなかったんです。像を作ることもなかった。なので、絶対とは言い切れませんが、これは日本で初めてのお坊さんのお墓ということになります。」

「そして、この細い木をご覧ください。これは瓊花(けいか)という木なんです。瓊花は鑑真和上の故郷、唐の揚州にあった花なんですが、ながらく門外不出の花でした。」

唐招提寺・鑑真和上御廟・瓊花2

「昔の皇帝がその花をたいそう気に入って門外不出としたのです。ですが鑑真和上遷化1200年の昭和38年、特別に揚州からいただいたものがこちらに植えられています。」
「花が咲く時期は4月下旬から5月上旬、残念ながらもう終わってしまいました。」

その時、「あそこに見えるのは花ではないですか?」と誰かが言った。
「あれ?ホントですね!普通ならもう終わっているのですが、日当たりが悪くてまだ残っていたのですね。」

唐招提寺・鑑真和上御廟・瓊花

それは紫陽花によく似た花だった。
わずかしか咲いてはいなかったが、それでもその珍しい瓊花を見れたことはツイテるなと思った。


唐招提寺・宝蔵と経蔵(日本最古の校倉造)

そして鑑真和上に手を合わせた後、正倉院よりも古い日本最古の校倉造である経蔵と宝蔵を見て、再び金堂でお参りをし、南大門を目指す。


ここで今回のいにしえの旅は終わった。

やはり、やはり奈良はいい。
時空を超えて再び奈良を訪れよう。


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