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旅先の大切な思い出を綴っています  since Sep. 1, 2007
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夜のこんぴらさんで「金毘羅船々」を唄う。

「節分の夜、こんぴらさんで小豆粥の接待があるよ。」

そう教えてもらった私は、次の日が仕事だったにもかかわらず、夜のこんぴらさんへ登ることにした。

こんぴらさんとはお馴染み、香川県琴平町にある金刀比羅宮のこと。
わが家からは20分ほど車を走らせた処にある。

地元の方の話では、そのこんぴらさんで年に三回、旧正月の前日と節分の夜、そして大晦日に小豆粥が振る舞われるとのことだ。

節分と言えば豆まきや恵方巻、小豆粥といえば小正月なのだろうが、白い息を吐きながら長い石段を登って小豆粥を戴く節分も悪くないと思った。
もちろん、こんぴらさんでも豆まきを行う節分祭もあり、それは午後5時より執り行われる。
小豆粥の接待は夜の10時からで、それを食すると邪気を除くとされるそうだ。


最近のこんぴらさんは奥社参拝を推しているのか、今年から新しい天狗守りが売り出され、「奥社はパワースポット」と書かれたポスターが至る所で目についた。
何故天狗なのかというと、奥社の西側は断崖となっており、そこに天狗とカラス天狗の彫物があるからだろう。

表参道を行くと、御本宮までは785段、奥社までなら1368段の石段を登らなくてはならない。
讃岐に住む私でも、奥社はこれまでに二度しか参拝していない。

しかし、小豆粥を頂ける接待所は神馬を飼養している御厩前の広場、だいたい400段目に設置される。
先日も表書院で円山応挙の障壁画を観るため430段ほど登ったばかりだったので、それなら貧血ですぐに息が上がる私でもなんとか登れるだろうと思った。

午後8時半、こんぴらさんの麓から登り始める。

2017-02-03こんぴらさん釣燈籠

その夜、私と友達2人以外ほとんど人影はなく、暗くひっそりとした石段が続いていた。
夜のこんぴらさんは初めてだった。

普段の日は、巨大イノシシが出没するため夜間参拝は控えるよう申し渡しされている。

「もう200段目くらいかな。」
息切れがし、重い足を引き摺りながら顔を上げると「100段目」の文字。
なかなかキツイ道のりである。

御厩前の広場に近づいて、やっと人の気配を感じ始めた。
子供も数人元気に声を出して走り回っている。

ゆっくりと登ったので、午後9時頃接待場所に到着した。

2017-02-03こんぴらさん・小豆粥接待所

10時より早い時間であっても小豆粥が出来ていれば早く戴けると聞いていたのだが、その日の接待係は時間厳守の方のようで、それから1時間待たされることとなる。

風もなく、厚着のおかげで寒くもない夜だったが、さすがに冬空の下でただ待っているのはつらい。

そこで御本宮を参拝しようと決意した。
ただの参拝なら決意のいることではないのだが、あと385段の石段がそれを要した。

特に最後の100段が苦しい。
日ごろの運動不足で息は上がるのに足は上がらない。

​​​金毘羅船々 追い手に帆かけて シュラシュシュ・・​・​​​
自分たちを鼓舞する意味もあって、大きな声で唄う。
辺りには誰もいない。

廻れば四国は讃州那珂の郡 象頭山金毘羅大権現 いちどまわれば・・・​
ちょうど785段目のところで唄い終えた。

「御本宮、到着ぅ~!」

2017-02-03こんぴらさん

とその時、若い男性が一人、目の前に現れた。

かああぁぁぁ。 
その場が明るければ、顔面真っ赤っかな私が相手に見えてしまっただろう。

「うるさくしてすみません。」
「いえいえ、いいですよ。」

相手は確かに笑っている。
カメラを提げた、爽やかでなかなかイケメン風な男性だった。

「奥社まで行かれたのですか?」
「ええ、行って来ました。」

夜の真っ暗なこんぴらさん、しかもイノシシと遭遇するかもしれない長い石段を1000段以上も登る人がいるのか。しかも一人で。

違う意味でドキドキした私たちは、御扉閉していることもあってお参りするのをすっかり忘れてしまっていた。

いや、本日の目的は小豆粥。
お参りは改めて、その時は奥社にも挑戦したいと密かに誓う。

2017-02-03こんぴらさん・小豆粥

優しい味にお腹の底からしっかり温まった夜である。





ノーベル賞授賞式に参加して④・・・香川高専詫間専攻科2年春日貴章(四国新聞)

④ 大隅先生と対面 <「仲間大切に」と助言>

2016年ノーベル生理学・医学賞受賞者である東京工業大学の大隅良典栄誉教授とは、日本大使館主催のレセプションで直接お話しさせていただくことができた。
私は非常に緊張していたが、実際に話してみると気さくでおおらかな方であるように感じた。
「それぞれ一つずつアドバイスを頂けますか」というお願いにも快く応じてもらった。

前日の記念講演や報道の内容から、大隅先生が共同研究者の方々を大切になさっているように感じていたため、「特にチームで研究を行う上で気を付ける点はありますか」と質問したところ、「若いうちから仲間を見つけて、大切にすること」というアドバイスを受けた。
自分なりの解釈ではあるが、損得抜きに助け合える仲間は貴重であり、年齢を重ねると見つけにくいという意味も込められているように感じた。

もう一人の日本人参加者で京都大学大学院の松本明宏さんの「良い研究テーマとはどのようなものでしょうか」という質問に対しては、「目先の結果だけでなく、5年、10年先を見据えたテーマを考えることが大切」と助言されていた。

ストックホルム国際青年科学セミナー(SIYSS)ではノーベルレセプション、授賞式、晩さん会などに参加した。
どれも華々しく、きらびやかなシーンが印象に残っている。
私は現在、工業を志していることもあり、今後ノーベル賞を強く意識することはあまりないかもしれない。
それでも地道に研究に取り組んだ結果がいつか報われるという瞬間をこの目で見られたことは、研究に対する大きなモチベーションになった。
日頃から視野を広く持つよう意識していたが、より広い範囲にアンテナを張り、仲間を大切にして協力しながら研究にまい進したいと、強く思わされた8日間だった。

今春からは大学院に進学し、新しい分野で研究活動を続けていく。
研究分野を変えることもあり、これから多くの困難や挫折が待っていると考えられるが、今回のセミナーやこれまでの活動を通して得てきた経験を糧に、一歩ずつ地道に取り組みたい。
そして、これまで支援していただいた地元香川、ひいては日本に少しでも貢献できるような成果を上げることが将来的な目標である。
=おわり=

ノーベル賞授賞式4





ノーベル賞授賞式に参加して③・・・香川高専詫間専攻科2年春日貴章(四国新聞)

③ 華やかな舞台 <羽織はかま姿で参加>

ノーベル賞授賞式と晩さん会は、普段の生活からかけ離れた華やかな舞台だった。
目の前にある光景なのに、どこか現実感が湧いてこなかった。
ただ、テレビや新聞でしか見ることがなかった場面に立ち会っているのだという思いで、胸がいっぱいになった。

当日のドレスコードはタキシードもしくは伝統衣装となっており、せっかくの機会だと思い、私は紋付き羽織はかまで参加した。

授賞式では、ステージを正面から見下ろせる2階席という素晴らしい場所に座ることができ、生演奏をする楽団やスウェーデン王室の方々、そしてノーベル賞授賞者の皆さんの様子がよく見えた。
生理学・医学賞を受賞した東京工業大学栄誉教授の大隅良典先生へのメダル授与の瞬間も間近で見ることができ、同じ日本人として誇らしく、純粋にうれしかった。

晩さん会では1千人規模の招待客やテーブルの上に並べられた光り輝くカトラリー(ナイフやフォークなど)、天井に映し出された幻想的な映像など、会場の雰囲気をよく眺めることができた。
晩さん会は約4時間続き、前菜、主菜、デザート、各種アルコールといったメニューに加えて、楽器を用いたオペラ風のショーも楽しめた。
料理はどれもおいしく、これまで食べたことのないような凝ったものばかりだった。

当日の2日前に初めて習った拙いテーブルマナーだったが、会場の雰囲気が素晴らしく、そんなことが気にならないほど楽しい時間を味わえた。

この後は会場の2階に上がり舞踏会が始まった。
はかま姿だったため不安もあったのだが、一度だけ踊った。
これも2日前に基本だけ習った。
そんな状態だったので、とてもうまく踊れたとは言えないが、ダンスの輪の中に入って、パートナーと体を左右に揺らしているだけでも舞踏会の空気感を楽しめた。

また、羽織はかま姿は他の招待客やストックホルム国際青年科学セミナー(SIYSS)参加者から見ても珍しかったらしく、「一緒に写真を撮ってほしい」とお願いされたり、服装について褒められたりすることも何度かあった。
現地まで持っていき、一人で着付けするのは大変だったが、そのかいは十分にあった。

ノーベル賞授賞式3




ノーベル賞授賞式に参加して②・・・香川高専詫間専攻科2年春日貴章(四国新聞)

② 世界の若き科学者 <積極性を見習うべき>

ストックホルム国際青年科学セミナー(SIYSS)のスケジュールは濃密の一言。
朝7時から夜11時までみっちり予定が詰まっている日もあった。
アメリカ、中国、イスラエル、南アフリカといった18カ国24人の参加者、コーディネーターを兼ねた現地大学生と8日間を共に過ごした。

選考過程や人数は国によって異なっており、例えばアメリカでは全国規模の科学コンテストの入賞者4人程度が参加の機会を得ることができ、日本では国際科学技術財団(東京)による選考を経て派遣される。
共通としているのは、18歳から24歳までという点と、全員それぞれ独自の研究テーマを持っている点であり、医学、薬学、流体力学、電子工学、さらに植物学まで、幅広い分野の研究を行っていた。

参加者同士の話題は多岐にわたった。
文化の紹介や、米大統領選、イギリスEU離脱などの世界情勢、そしてもちろん、それぞれの研究に関する説明や議論もあった。
自身の放射線の遮蔽(しゃへい)方法学習教材に関しても多くの指摘があり、そして現在の福島の状況を問われるなど、興味を持ってもらうことができた。

自分よりも数歳若い他の参加者と交流していく中で最も気になったのは、18歳や19歳という年齢でどうやって研究活動に取り組めたのか、という点だった。
数学や物理といった理論の世界では、特別な設備なしに研究を行うことが可能かもしれないが、化学や薬学といった世界ではどうじても専門設備が欠かせない。
聞いてみると、高校1、2年のころから自分で大学の研究室にお願いして設備を貸してもらっていた、という人が複数いた。
自分も低学年の時から、ものづくりコンテストなどに積極的に取り組んでいるつもりだったが、当時の自分に大学の教授に直談判するという発想も度胸もなく、そういった積極性や主体的に物事に取り組む姿勢には、見習うべき点が多いように感じた。

交流は非常に刺激的だった。
自分の専門外の事柄であっても貪欲に知識や経験を吸収しようとする姿勢からは、多くのことを考えさせられた。
自身の研究をキラキラした目で語る彼らは学生という枠を超えて、立派な一人の若手研究者であるように感じた。

ノーベル賞授賞式2



ノーベル賞授賞式に参加して①・・・香川高専詫間専攻科2年春日貴章(四国新聞)

① 派遣決定 <福島原発事故が契機>

昨年12月4日から12日にかけて開催されたスウェーデンのストックホルム国際青年科学セミナー(SIYSS)へ思いがけず参加することがかなった。
世界各国から厳しい選考をくぐり抜けた若手研究者が一堂に集い、倫理セミナーと呼ばれる議論や1千人規模の現地高校生に向けた研究発表、そして授賞式や晩さん会をはじめとしたノーベル賞関連行事にも参加できる貴重な機会である。
これまでの人生で最も濃厚だった8日間を終えて、得たものは非常に大きい。

SIYSSは現地での研究発表がセミナー全体の大きな部分を占めており、参加者は自身の研究テーマを持ち、現地で研究の成果を分かりやすく発表することが求められる。
私は研究テーマである、放射線をどうすれば止めることができるのかを学ぶための教材「放射線の遮蔽(しゃへい)方法学習教材」を応募用紙に記した。

放射線や原子力の世界との出合いは、2011年3月までさかのぼる。
当時香川高専の本科2年生だった私は、現在の指導教官でもある天造秀樹准教授からの誘いを受け、3月6日から12日までの日程で、新潟県の柏崎刈羽原子力発電所近郊のBWR運転訓練センターでの研修に参加した。
いわゆる「安全神話」がまだ信じられていた。
私は人一倍好奇心が強く、「もしも想定している安全装置や緊急冷却システムが全て機能しなかったときはどうなるのか」といった質問を行ったが、講師の方からは「そのような事態が発生することは考えられないし、予算の関係で全ての状況に備えるのには限界がある」という説明しか受けることはできなかった。

3月11日、東日本大震災の影響で福島第1原発事故が発生した。
1週間という短期間に起きた劇的な展開は、自身の考え方に強烈なインパクトを与えた。
特に、科学を志す以上「絶対」という言葉は慎重に使わなければならないこと、そして、「安全神話」の崩壊と震災後に出回った放射線に関する数々のデマを目の当たりにして、良いイメージにせよ悪いイメージにせよ、正しい知識を持って事実を受け入れ、世論やイメージに流されず、自分の頭で考えて備えることが大切だと感じるようになった。
そこで私は、拡張現実(AR)と放射線シミュレーションを組み合わせ、放射線を「目で見て」直感的に学ぶことができる教材の開発を始めたのだった。

国内からSIYSSへの派遣が許されるのは、毎年2人の狭き難関と知っていた。
過去の参加者を見ても東大や京大の方が多く、高専生の派遣は前例がない。
正直、自分が参加できるとは夢にも思っていなかった。
ただ、応募しても失うものはなく、将来的に後輩が応募する時に今回の経験が少しでも助けになればという思いだった。

面接審査後、紙1枚しか入っていないような薄い封筒が自宅に届いた。
私が不在のため代わりに受け取った母は落選したと思ったらしく、気を使ってしばらく封筒が届いたことを伝えてくれなかった。
数日後、机の上に置いてあった封筒を見つけた私が封を開けてみると、「派遣決定」の文字が目に飛び込んできた。

ノーベル賞授賞式